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文学

文学は魂の糧──いち早く反戦の声をあげた、リュドミラ・ウリツカヤとその作品

2022年12月28日(水)08時18分
沼野恭子(東京外国語大学教授)

ウリツカヤは、モスクワ大学を卒業した後、専門を生かして遺伝学研究所に勤めていたが、地下文書(サミズダート)を所持していたとの理由で研究所を追われ、その後、子育てをしながらユダヤ音楽劇場や人形劇場や子供劇場などでシナリオを書いていた。

『ソーネチカ』を発表したのは1992年、ソ連が崩壊した翌年である。すでに50歳近くになっていたので、作家として認められたのはけっして早くなかった。

『ソーネチカ』は、本の大好きな女の子が大人になって図書館の司書となり、やがて流刑の身にある非公式芸術家と出会って結婚し、大きな試練に見舞われながらも前向きに生きるという、善良な女の一生物語である。淡々とした語り口のなかに独特のアイロニーとユーモアが溶けこんだ作品で、ソーネチカという個性的な存在をありのままに包みこむ温かいまなざしを特徴としている。

主人公と絶妙の距離感を保ちつつ、つねに寄り添う作者の姿勢は、この後の作品でも一貫している。しだいに息の長い長編が増えていき、登場人物がどんどん増えていってもそれは変わらず、ひとりひとりのキャラクターが、機知に富んだ筆致で、鮮やかに、こまやかに描き分けられる。

それは、産婦人科医クコツキイを主人公に親・子・孫の三世代の生き方を描いた家族年代記『クコツキイの症例』(2000年)にも、実在の人物をモデルに数奇な運命を生きた理想主義者の生涯を描いた長編『通訳ダニエル・シュタイン』(2006年)にも受け継がれている。

クコツキイの症例
 リュドミラ・ウリツカヤ[著]/日下部陽介[訳]
 群像社[刊]

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通訳ダニエル・シュタイン
 リュドミラ・ウリツカヤ[著]/前田和泉 [訳]
 新潮社[刊]

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