アステイオン

サントリー学芸賞

「世界史を見通すレンズ」としての中国料理──行って、食べて、調べて、聞いて、考えて

2022年12月16日(金)07時50分
岩間一弘(慶應義塾大学文学部教授)
中華料理

MielPhotos2008-iStock


<第44回サントリー学芸賞「社会・風俗部門」受賞作『中国料理の世界史──美食のナショナリズムをこえて』の「受賞のことば」より>


学生時代から今に至るまで多くの優れた受賞作を拝読して、深い感銘を受けてまいりました本賞を授かりまして、信じがたいような気持ちです。この本の研究と公刊を助け、支え、喜んでくださった方々に、心から感謝いたします。

本書は、労作というよりも、無我夢中で楽しく取り組めた幸運な研究の賜物です。40歳代であった2010年代には、短期でもアジアや欧米の諸国・各都市に赴いて、食べて、調べて、聞いて、考えて、ということを繰り返すことができました。

そしてしだいに、料理というミクロな営みから、地域のマクロな文化・社会史を見通すことや、その際には一都市史、そして一国史の枠組みで満足せずに、たとえ学術的に少し無謀に思えても、比較や交流の視点を十分にふまえて世界史を描き出そうとすることを、はっきりと意識するようになりました。

本書を通して、中国料理が、日本人の食生活に不可欠な一要素であるだけでなく、「世界史を見通すレンズ」「世界史を織りなすのりしろ」にもなりえる貴重な文化の一つであることを実感していただければうれしいです。

日本や中国の世界における立ち位置が著しく変化するなかで、世界が今日の姿に至るまで歩んできた道程を、私たちが日常的に接する身近なものから理解することには、大きな意味があると思います。

とはいえ本書は、確立された研究分野の到達点というよりも、開拓的な学術研究のスタート地点に位置づけられることは間違いありません。料理に関しては、断片的な史料しか残されていないことが多く、それゆえ推測にもとづく諸説が許容されやすく、俗説が俗説として楽しまれ、しかも俗説は面白く進化しながら流布していきます。

一つ一つの料理のルーツを探るのは予想以上に難しく、実証的な歴史研究が成功するとは限りません。さらに、料理・比較・交流といった視点は、現地に根差した多様な人々の複雑な生活感覚や社会意識を十分にくみ取れないことも多く、ともすれば表面的な議論に終始してしまいがちです。

やはり本書も、刊行から1年あまりが経った今から見れば、粗ばかりが目立ちます。例えば、中国の各民族料理の形成・関係性に、ほとんど論及しませんでした。

また、タイの国民食・パッタイが、1930年代に政府主導で中国の麺料理を改良して誕生したことを論じましたが、タイ料理に欠かせないナム・プラーも、その少し前に華人が現地のタイ人向けに工場生産と市販を始めた調味料であることは書き洩らしていて、悔しいです。

そして何より本書では、20世紀の帝国日本がもたらした戦争や植民地支配が、日本の定番中華料理の歴史に深く刻み込まれていることを十分に論じきれなかったのが心残りです。

さらに、21世紀の強国化する中国の食とナショナリズムが、20世紀から何が変わり、何が変わらないのかも、あまり論じられませんでした。

こうした目下の課題を念頭におきつつ、今、活発化しているアジア食文化の新たな研究潮流に刺激を受けながら、中国料理に関わる文化・社会史研究をさらに深めてまいりたいと思います。


岩間一弘(Kazuhiro Iwama)
1972年生まれ。 東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。 上海社会科学院歴史研究所訪問研究員、千葉商科大学商経学部教授などを経て、現在、慶應義塾大学文学部教授。 著書に『上海大衆の誕生と変貌』(東京大学出版会)など。


 『中国料理の世界史──美食のナショナリズムをこえて
  岩間一弘[著]
  慶應義塾大学出版会[刊]
 

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サントリー学芸賞について(サントリー文化財団)

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