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神経科学

2人を同時に好きになることはできるか──漫画『イエスタデイをうたって』を視覚研究者が読む

2022年04月05日(火)16時20分
保子英之(社会人研究者)

冬目景『イエスタデイをうたって』(集英社)1巻と11巻 WEBアステイオン編集部


<「私たちは、1つのものしか視ることができない」。視覚機能の研究者が考える、好きという気持ちの脳の処理、そして「視る」についての話>


私は、ヒトの視覚機能に興味を持って研究をしている。視覚体験というのは直感的で、とてもわかりやすい。そのひとつ、Binocular rivalry(両眼視野闘争)は、私たちがふだん世界を見るために使っている2つの目、それぞれに別々のものを見せることで生じる。

例えば、左眼にA、右眼にはBの絵を見せる。このとき、AとBが混ざり合ったような絵が見えるのだろう、そう考える人が多い。しかし、これは正しくない。いくつかの例外はあるものの、基本的に二者は混ざり合わず、左眼に視えているそのままの姿のA、または右眼に視えているそのままの姿のB、そのいずれかが見える。しかもそれは、周期的に入れ替わる。

Aが見えていると思ったら、突然それがBへ変わり、少し間をおいて、それはまたAに戻る。左右の視野を分離し、それらが周期的に交替しながら知覚される現象のことを、両眼視野闘争という。

この現象を知ったのは、私が修士課程の学生のときだった。自分で両眼視野闘争を再現するための治具を作り、初めてそれを体験した私は、とても純粋な感想を抱いた。「私たちは、1つのものしか視ることができない。」

こうした話と無関係には思えないことを、私は何の気なしに読んでいた漫画の中で目撃した。冬目景の『イエスタデイをうたって』(集英社)という作品である。1998年から17年間にわたって青年誌に連載され、2015年に最終巻となる11巻が刊行されている。2020年のアニメ化をきっかけにして知った人も多いだろう。かくいう私もその1人である。

大学を卒業してコンビニバイト暮らしをする主人公の魚住陸生(リクオ)は、好きなカメラに対する夢をぼんやりと抱えながら、その夢に踏み切れるわけでもなく、モラトリアムの延長のような、間延びした日々を送っている。そこに、彼のことがずっと好きだったというヒロインの野中晴(ハル)が現れる。

ハルはまるでその「存在が名前の比喩」であるかのような、どこまでも真っ直ぐで、まぶしい生き方をしている。その一方でリクオは、何に対しても、いまひとつ踏み切れない。ずっと好きだった大学の同級生の森ノ目榀子(もりのめしなこ)への気持ちに対しても同じで、その関係にひびが入ることを恐れて、一歩が踏み出せない。

榀子を想う気持ちと、ハルからぶつけられる強い感情との間で揺れるリクオの心情を中心に、20代特有の何者にもなれないという漠然とした不安、夢へ向かう気持ちと恋心の交互作用をリアルに描き出した青春群像劇である。

作中では、三角関係、四角関係が描かれる。それだけなら恋愛漫画でよくある構図だが、本作ではこれが終始、複数存在する。しかも、この構図に対して、20代の一歩引いた、冷めた視点でリアルな登場人物たちが考察を加えるため、彼らがそのときに誰のことを視ていて、そして誰のことを視られなくなったのか、その感情の機微が程よく推量できてしまう。

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