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スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチがノーベル文学賞受賞後の2016年に来日した際、話を伺う機会があった。「これからはどんな本を書きたいですか」という質問に、彼女は「愛についての話が書きたい」と答えていた。これまでの本よりもっと穏やかで、身近な人々が愛について語る本を。
アレクシエーヴィチ・鎌倉英也・徐京植・沼野恭子 共著
『アレクシエーヴィチとの対話』
(岩波書店、2021年)
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私はその本を楽しみに待っていたが、2021年7月の『アレクシエーヴィチとの対話』(アレクシエーヴィチ・鎌倉英也・徐京植・沼野恭子共著、岩波書店)刊行記念オンラインイベントの際の話では、いま書いているのはベラルーシ民主化の話だという。以前の予定とは少し違うようではあるが、本の内容が5年前からみて変化したのは、彼女の創作方法を考えればごく自然なことだ。
アレクシエーヴィチの本はすべて、本人も語るようにある共通した手法で書かれている──「話を聞く」という手法である。
第二次世界大戦、アフガニスタン侵攻、チェルノブイリ原発事故......生命や精神の危機に直面してきた人々が、彼らにとって苦しい、これまで言葉にする機会のなかったような証言を語っていく。話しながら、ときには思い出すことのつらさに言葉を詰まらせ、不意に泣きだしたり、あるいは心の痛みのあまり笑いだしたりもする。語るほうも聞くほうも決して楽ではないだろうということは、読んでいても伝わってくる。
いま翻訳している『亜鉛の少年たち──アフガン帰還兵の証言 増補版』(2022年5月刊行予定、岩波書店)の冒頭で、語り手はこんなことを思う──
「もう戦争の話は書きたくない。〔......〕肉体的にも精神的にも、私の力は尽き果ててしまっていた。〔......〕私たちは黙っている。なぜ黙っているのだろう? 私は黙ってなどいたくない......。でも、もう戦争の話は書けない」。
しかし「書けない」と言いながらも、彼女のなかではやはり「黙ってなどいたくない」ほうが勝ち、戦地にさえ赴いて証言を集め、そうして『亜鉛の少年たち』が書かれていく(この本はこれまで三浦みどりさんの翻訳により『アフガン帰還兵の証言』という題で日本経済新聞社から出ていたが、後に原著者による大幅な改稿がなされ、その新版に基づく翻訳の刊行準備が進んでいる)。
そして今回も、彼女が「黙ってなどいたくない」現実が押し寄せてきたのだ。
vol.100
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