アステイオン

学び

非正規の思考

2019年08月30日(金)
周東美材(大東文化大学社会学部 専任講師・2014年度 鳥井フェロー)

このような身体性の前面化は、学びの場のなかに熱気と圧力を生じさせる。受講生は講師から知的情熱を受け取り、それに感染しながら期待と好奇心をもってさらなる知識を貪欲に求めるようになる。

こうした情熱の高まりは、受講生たちのあいだで自然発生的なコミュニティーを作り出す。授業後に近くで集まって感想戦をするグループができ、それがSNSを介してつながり、卒業後も交流が続いてリユニオンの機会が設けられる。そうした学びの場の醸成は、ひとりひとりの生活のなかに学知を取り戻す営みでもあるだろう。

雑誌編集者からほぼ日の学校長への転身を果たした河野氏は、「畑の違うとこに移りましたよね」と言われることも多かったが、「自分自身としては本質的にはあんまり違いというのは感じなかった」と語る。講義の計画を立てることは雑誌の特集を考えることと似ており、テーマ、切り口、キャスティング、目次、ボリューム感、ビジュアル要素などをどのようにアレンジするかという点は編集者としての感性とつながっていたからだ。編集者のころに「ふだん使っていた頭の筋肉を講義というライブの場に置きかえて展開する」、「文字を読んでくれる読者のかわりにその場で受講してくれる受講生が今度は相手という違いはあるけれども、やろうとすることはあんまり変わらない」と河野氏はいう。河野氏にとって、編集者から学校長へという転身は地続きだった。

「書物からライブへ」とは反対に、「ライブから書物へ」という逆のベクトルも河野氏は企図していた。「やっぱり最終的には私は本に人を連れていきたいという思いがある」と河野氏は熱を込める。「出版社がSNSをやってみようがいろんなイベントをやってみようが、なかなかブレークスルーが見えてこないなかに、違うところで違う人たちに呼びかけをしたら、今までちょっと本から遠のいていた人たちにそもそも潜在的にあった向学心とか好奇心が刺激されて、あ、本を読んでみたらおもしろいなとつながっていくなということを感じている」というのが、河野氏の実感だ。ほぼ日の学校の試みは、書物へと「つなげるやり方」だったのである。

ネット時代において書物へとつながっていくための媒介として、身体的でライブな空間がせり出してくる。書物と印刷技術は、世界の観察・理解と知の創造、専門知の相互参照と体系、大学の制度化といった旧来の知のシステムのトップに君臨してきたが、かなりの部分に綻びがみられるようになった。とりわけ、冒頭に述べたような大学における知への熱意と教育という側面で、その傾向は顕著だろう。しかし、河野氏の実践が示しているのは、ライブ性が潜在的な知性を刺激し、生活のなかで学び合うコミュニティーを生み出し、学びの場を再編成する契機となりうる、ということである。

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