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谷崎潤一郎の有名なエッセイ「阪神見聞録」(1925)は、ずうずうしい、ガラが悪いといった関西人に対する偏見を著しく助長する作品として知られている。そこには、電車の中で平気で子供に糞尿をさせる関西人、見ず知らずの人から新聞を拝借したまま返さない関西人などが登場する。
筆者は東京から関西に移住して一年になるが、当然ながらこのような光景に出会ったことはない。日本全国ひとしなみに〈文明(化)〉の恩恵に浴し、したがって全国どの街も同じような光景と同じような〈文明人〉で満たされるようになった結果なのかもしれない。だが関西に住んでいると、知らない〈日本〉に触れたような気がすることが時折ある。それがなにか表現することはむずかしいが、少なくとも『秘密のケンミンSHOW』的なものではない。同じように見えるからこそ、微妙な差異が際立って感じられるたぐいのものである。
3月1日に開かれた堂島サロンは、東京(中心)の「知」のあり方とは違う「関西知」なるものは存在するのか、もし存在するとすればそれはどのようなものなのか、という問いをめぐって始まった。報告者は井上章一氏。演題は「関西の歴史学概観」である。井上氏は「知のあり方は国境や風土、時代を超える」、つまり学問とはユニバーサルなものであるはずだけれども、学問風土の「関西らしさ」を感じる時はたしかにあるという。
井上氏が例示するのは、日本中世史研究である。歴史教育の場では、平安末期における武家の台頭と鎌倉幕府の成立を時代の画期として強調することが多い。そこには、フレッシュで健康的な勢力である武士が、腐った公家や僧侶の支配するよどんだ古代を刷新し、中世の新時代を切り開いていくというイメージがともなっている。地理的な含意もある。政権の中心が京から鎌倉へ、近畿から関東へ移ることで新時代が始まるわけだから、京都は古くて堕落した場所であり、関東は新しくて健全な場所だということになる。
新しい時代はいつも関東=東京近辺から始まる――。井上氏は、このような歴史観を「関東史観」と呼ぶ。明治以来、東京の中央政府はこの歴史観を流布し、関西人ですらこれに毒されてきた。大阪人の司馬遼太郎は鎌倉幕府の誕生に律令の世の終わりと中国・朝鮮との分岐点を見出した。京都府生まれの井上氏が幼少期に受けたのは、腐敗した京都にとどまって滅亡した平家の一党と、「鎌倉殿」源頼朝を対比させる「情操教育」だという。
vol.101
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