会場からはほかにも様々な質問や意見が活発に出された。例えば政府が審議会をやるときに、間違いなく昔なら「知識人」といったところを「有識者」という。これは政府が教養人や知識人のように全体的な知をもはや必要とせず、ある部分だけを欲しがっているということではないか、といった意見や、研究者にとっての場の重要性を再確認する声、また、お話の中にあった「専門外ですから」という言葉について、謙遜のように見えて実は傲慢な言葉である、という指摘があがった。
これまで考えられてきた「教養」の特徴として、広さ/狭さの対立項がある。そのような教養像を補うものとして水平関係の教養、それも深みのある水平の教養が求められている。すなわち「マッピング」や「離見の見」によって、広さ/狭さを克服するということだ。
今回のお話で特に印象に残ったのは、adovocacyとmediationという語に象徴されるように、大きな声で自分の意見を届けることのできない人たちのために、自分の専門知識をネットワーク化していくことの大事さだ。教養人は狭い「専門」のなかで安穏としているのではなく、人々のなか、人々のそばで、考え、発言しなければならない。これらのことをつなぐものとして、構想力としての教養像はとても魅力的だ。知識と知識をつなぎ、組み立てていく。世界を立体的に立ち上げていく。同時に、そこでは想像力の問題もかかわってきて、異なる声を引きうけ他者と自分の関係を再認識することにもつながる。サルトル以来の教養人の抱えてきた社会に対する問題意識にもつながる、奥行きのあるお話だった。
奈倉 有里(なぐら ゆり)
早稲田大学非常勤講師
2015、2016年度サントリー文化財団鳥井フェロー
vol.101
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