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アルゼンチンと、タンゴな人々

西原なつき|アルゼンチン

アルゼンチンの歴史が見える、奥深き隠語の世界

(Kubra Cavus - iStock)

前回の記事で、日本の「業界用語」と同じようにアルゼンチンでよく使われる「逆さ言葉」について書きましたが、これとはまた別のルーツで、ブエノスアイレスでは隠語も日常の会話の中で多用されます。


友人たちとの会話の中で繰り出される隠語は数知れず、知らない単語があって後から辞書で引いても出てこない、「アルゼンチン弁」。しかもそれは冗談を言う場合などに使われることも多く、アルゼンチンに来て言葉に慣れるまではさっぱりわからずキョトンとする、またはわからないけどとりあえず一緒に笑っておく・・・ということもよくありました。
しかし、ひとつひとつ知っていくと、意外と面白いこの国の歴史を垣間見ることができるのです。


アルゼンチンで隠語が使われ始めたのは19世紀末頃から。首都ブエノスアイレスに働きにやってきた移民達の間で広がっていきました。
この隠語の事をここでは「ルンファルド」と呼び、特にその労働者たちの間で親しまれていたタンゴには、その歌詞に沢山のルンファルドが使われています。
(このルンファルドLunfardoの語源は、イタリア系移民が多かったその界隈で使われていた言葉ということで、イタリアのロンバルディ州で話されるロンバルド語 -Lombardo- が変化したものです。)

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(Buenos Aires, conventillo, c.1890. Foto: Archivo General de la Nación)

隠語は裏社会やあまり知られたくない話をするときに、仲間うちだけで通じるものとして流行る場合が多いようですが、例えば、この当時「泥棒」を指す隠語は29個もあったと言われています。
実際に今では使われていない言葉も多く、タンゴの歌詞を見ていても、生まれも育ちもアルゼンチンのタンゴミュージシャンたちでさえ一体何を指しているのかわからない、というものも沢山存在します。


しかし、これらの言葉たちは、流行り廃りのある裏社会の俗語に留まりません。
様々な国からの移民達が文化を持ち寄った場所であるブエノスアイレスは、多くの国や地方のルーツが混じり合い、新しい文化が形成されていった街です。その言葉の語源を見ていくと、あちこちの地方や国に由来していることがわかります。
先住民の言葉であるケチュア語、グアラニー語、マプチェ語。アフリカルーツの言葉、ジェノバ方言・アストゥリアス方言・ガリシア方言・ナポリの方言、ポルトガル語、ガウチョの俗語、イタリアマフィアの隠語・・・などなど。
そのため、ルンファルドを学問として研究している人々、また「国立ルンファルドアカデミー」なるものも存在するほどです。
彼らはルンファルドを、アルゼンチンの社会において重要な遺産である、と定義しています。

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(作家でありルンファルドアカデミー創立者のJosé Gobelloによる、「ルンファルド辞典」。)

そしてその中には、現在の日常会話の中だけでなく、ロックなどの歌詞、TV番組・映画の中でも見られるなど、アルゼンチン独自の言語として一般的に定着しているものもまた多くあるのです。


隠語から正式に辞書にも載るようになったもの、例えば、Minaという言葉。
「女性」を指す言葉としてよく使われる言葉なのですが、この言葉を辞書(白水社:現代スペイン語辞典)で引くと、最初に出てくるのは「鉱山、坑道」。そして、最後の行まで見てみるとこう出てきます。

《南米》情愛、愛人;娼婦;[きれいな]若い女


古いタンゴの世界に一瞬でトリップしそうな言葉の羅列ですが、
まさにこのMinaという言葉は、タンゴの中でよく使われていた言葉です。


当時は「女性」を侮蔑的な意味合いで使われていた言葉ですが、元々イタリア語の Femmina(女性)と古いガリシア語の Menina(王族出身の跡継ぎとなる若い女性)を掛け合わせて作られた隠語です。
そして、Minaという言葉が元々意味する「鉱山」に、「女性の体が富をもたらす鉱山のようである」という意味合いが加わり、定着していったのだそうです。
(現在では愛人や娼婦といった意味を含まずに普通の女性に対して日常的に使いますが、あの女、的な少し上から目線のニュアンスになるので、使う場合は注意です。)


単語としてはスペイン語の辞書には載っていても、現在日常で使われる隠語的な意味合いは記載されていないものもあります。

・Piola(辞書:縄)→ 優れている人、粋な人・事
・Canchero(辞書:競技場主)→ かっこつけること
・Zarpar、Zarpado(辞書:錨を上げる)→ 人並み以上に素晴らしいこと


この中から一つだけ語源を挙げてみると、Piolaは元々「縄」という意味で、ガウチョ(=アルゼンチンの草原地帯で牧畜に従事するカウボーイたちのこと)の間で使われていた言葉でした。
そしてこの縄で結び目を作ることやその扱いに長けている人をそっくりそのまま「Piola」と呼んでいたのです。
(ちなみに、この国ではそういうツッコミたくなるあだ名がありがちな気がします。似たところでは、床屋のおじさんのあだ名が「ハサミ」である、など・・・。)


その他、辞書には載っていない言葉も、沢山あります。

・Bondi → 街を走る路面バスのこと。元々はブラジルの都市サンパウロで発生した派生語
・Bardo → 混乱、トラブル、とっちらかっている事。イタリア語で同意であるBalordoに由来
・Chamuyar → 適当な事を言って女性を口説くこと。ジプシーのスペイン語、chamullar:低い声で話すこと、嘘と真実を混ぜて話すこと、に由来


アルゼンチンを代表する作家のひとりであるホルヘ・ルイス・ボルヘスも、ルンファルドについて書いた、「El idioma de los argentinos(アルゼンチン人の言語)」という作品を残しています。
ルンファルドを紐解いてみることは、アルゼンチンの歴史や文化を理解するための大きなヒントになりうるのです。


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(こちらは日常的に使われる俗語の辞典。アルゼンチン人の代表的なスラングの挨拶、「Che boludo/a!(=おい、馬鹿野郎)」は、親しい友達同士で愛着を込めて使われます。これが「らしく」言えるようになったらもうアルゼンチン人です。)

生活の中でよく耳にするものはわかってきましたが、古いルンファルドに加え、常に生まれ続ける若者言葉、さらに最近では新しく動詞や名詞の新しい活用形(中性詞)!?まで登場しており、ここでのスペイン語の勉強の道のりは長く続きます・・・。


最後に、こちらのタンゴを一曲ご紹介。
「ミロンガ・ルンファルダ (Milonga Lunfarda)」と言い、歌詞が全てルンファルドによって構成されている、という変わった曲です。




♪ この記事を書くにあたって、タンゴ研究家・元名古屋大学大学院 国際開発研究科准教授の西村秀人先生にご協力頂きました。

 

Profile

著者プロフィール
西原なつき

バンドネオン奏者。"悪魔の楽器"と呼ばれるその独特の音色に、雷に打たれたような衝撃を受け22歳で楽器を始める。2年後の2014年よりブエノスアイレス在住。同市立タンゴ学校オーケストラを卒業後、タンゴショーや様々なプロジェクトでの演奏、また作編曲家としても活動する。現地でも珍しいバンドネオン弾き語りにも挑戦するなど、アルゼンチンタンゴの真髄に近づくべく、修行中。

Webサイト:Mi bandoneon y yo

Instagram :@natsuki_nishihara

Twitter:@bandoneona

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