スペインあれこれつまみ食い
国民の心に深い傷を残したマドリード列車爆破テロ事件から20年
「何より衝撃だったのは現場が沈黙に包まれていたこと。叫んでいる人はいなかった。ただ携帯が鳴る音だけが響いていた。」
今から20年前の2004年3月11日に、首都マドリードで起きたマドリード列車爆破テロ事件。当時現場に駆けつけた救急隊の一人はこの日を振り返って地元メディアにこう語りました。
193人の死亡者と2084人の負傷者を生み出したこのテロから20年が経過する今年。今の若者たちはこのテロ事件が起きた年にはまだ生まれていませんが、スペイン人の心に強いインパクトと傷跡を残したこの事件は家族やメディアを通じて今の若者にも語り継がれています。毎年この時期になるとテレビやSNSでは生存者や遺族のインタビューなどを紹介し、国民らはあの日を想って犠牲者らに祈りを捧げるのです。
マドリード列車爆破テロ事件
2004年3月11日、通勤ラッシュの朝7時36分。マドリードの主要駅アトーチャ駅をはじめとする市内4カ所の電車にて立て続けに10回の爆発が起こりました。爆発された電車はすべて隣県グアダラハラからマドリード アトーチャ駅を結ぶC2線を走る電車。この爆発は合計193人の命を奪い2084人の怪我人を出したスペイン史上最悪のテロだと言われています。
誰がやった?
このテロを起こした犯人として真っ先に疑われたのはETA(バスク祖国と自由)でした。ETAはスペイン北部のバスク地方から生まれたスペインからの独立を目指している民族グループのことを指します。ETAは1960年代から独立のために国内でテロ行為を繰り返してきたため、今回のテロもまたETAの仕業に違いないと疑いの目が向けられたのです。多くの政治家たちはテロ発生後一斉にETAを非難するコメントを発表し、メディアもETAの仕業として大々的に出来事を報道しましたが、ETAは即座に関与を否定。その後、アルカイダの下部組織がロンドンに犯行声明を出したことや、アラビア語で記されたマニュアルや爆発物が入った車がマドリード州内で発見されたことから、このテロがETAではなくアルカイダ系のテロ組織の仕業だということが分かったのです。
なぜスペインに?
なぜスペインがテロの標的になったのか。それは当時のアスナール首相が下したひとつの決断にありました。1996年にスペインの首相に就任したアスナール首相。財政再建に積極的に取り組み、経済の面では数々の成果を出してきたアスナール首相は、外交面ではアメリカとの関係を強化することを重視していました。そのため2003年にはイラク戦争に賛成しアメリカに協力することを発表。それに腹を立てたテロ組織が、総選挙が行われる3日前の3月11日に今回のテロ行為を行ったのです。テロ組織の狙いはこのテロによってアスナール首相の支持率を下げ、政権から引きずり下ろすこと。テロ組織の狙い通り、テロが起きた後アスナール首相に対する国民の不信感が増した上に「戦争に参加しなければテロは起きなかった」と批判が集中。3日後に行われた国民投票でアスナール首相が所属する国民党は社会労働党に敗北する結果となったのです。
あれから20年
あの痛ましいマドリード列車爆破テロ事件からちょうど20年がたった今年。毎年行われる犠牲者を追悼する集会が今年もスペイン全国各地で行われ、アトーチャ駅にはたくさんの花が手向けられました。マドリードで行われた追悼式には国王フェリペ6世とレティシア女王、サンチェス首相などが出席し、犠牲者に対する想いやこの教訓をどう活かすべきかについてスピーチが行われました。
著者プロフィール
- 松尾彩香
2015年スペイン巡礼(カミノデサンティアゴ)フランス人の道を完歩。スペイン語習得のために渡ったコロンビアでコーヒー農家になるもスペイン移住の夢が捨てられず、現在はコロンビアのコーヒー事業を継続しながらマドリードのベッドタウンでひっそりとスペインライフを満喫中。
Twitter: @maon_maon_maon