ミャンマーに暮らす
今ミャンマーに求められているのは正解ではなく最適解である
前回の記事、予想した以上に反響があって嬉しく思っています。
ミャンマーD-day蜂起によせて
批判する方、冷ややかな意見を述べる方々もいるにはいましたが、概ね好意的に読んでくださった方が多いのかなという所感です。
私がこういった立場で無いのであれば是非読んでくださった皆さんと意見交換などしたいところです。
感想を発信していただいた方々にお礼申し上げます。
引き続き情勢に注意しながらも私自身は静かに暮らしております。
外出は極力控えていますが、それでも特殊な状態ということを肌で感じる毎日です。
自分なりに情報収集する中でやはり世界が今のミャンマーをどうみているかなどは気になります。
今回取り上げたいのはこのニュースからのテーマです。
「クーデターは正当」の主張続けるミャンマー国軍...国際社会復帰に"焦り"
是非読んでいただいた後に、この先を読み進めて欲しいのですが、簡単に概要を列挙すると
・NUGが国民へ蜂起を呼びかけた
・その2日後、軍が国連も含めた各国の大使館や機関に対して対面で現状を説明した
・軍は国際社会に対しての自分たちの正当性を説いた
・軍は実権掌握を既成事実化しようとする動きに国民は反発を強める
といった内容です。
感想を先に言うと、
「どの面下げて国際社会復帰と言うのだ」
というところであります。
何故「軍」が国際社会に復帰する為にこうして表に出てくる必要があるのか。
原因を自分たちで作っておいて......
以前はミャンマーの国会でも常時軍服を着ていました。
威圧感を出そうとしていたのかどうか知らないが、
今回も含め、ここのところ平服で公の場に出てくるという事が多く、あからさまなアピールに苛立ちを隠せません。
ただ逆に言うとこのような荒唐無稽な事を臆面もなくやる程、軍が愚かさを露呈せざるを得ない状況になってきたのかと考えられなくもありません。
圧倒的不利であった国民の戦いにも勝機が見えてきたのかと少し無理やりかもしれませんが前向きに考えるようにしています。
さて、ここからが今回のメインテーマです。
このニュースでも使われているのですが、「民主派」という表現に違和感があります。
私は~派というと「細田派」「麻生派」「竹下派」「二階派」など自民党の派閥がまず思い浮かびます。
自民党の中にはこのようなグループが10以上あるのです。
~派という言葉はこのようにいくつも派閥が乱立し混沌とした様子を表す時に使うものだというのが私の認識です。
しかし、自民党の派閥に「民主派」などというものはありません
皆、当たり前に民主政治を求めているからです。
そもそも自由民主党であるから当たり前なのだが、自民党の中に「民主派」なるものはいない。
更に言うなら日本には「独裁派」(独裁政治を望む人々)などそもそも存在しない。
であるならミャンマーで言うところの民主派とはなんだと思うのです?
国民の大多数が当たり前に民主政治を求めているのですから、それ以外がある程度以上の数、存在しているかのような印象が持たれてしまわないか?
ミャンマーには圧倒的多数の民主派しかいない。
つまり、そもそも民主派という言葉を使う必要がない、使う必要がないどころか、まるでその他の派閥が乱立し混沌としているかのようなイメージを与えかねず、表現として不適格だと私は強く思っています。
そういったところが今他の国でも起こっている紛争と大きく違うところだと私は認識しています。
民主政治を求めているのが多数だという証拠が無いと言う方もいるかもしれません。
現状ミャンマーではまともな世論調査など行えようハズもない状態です。
しかし、国民の意思を最も明確に表している去年の選挙結果は純然たる事実として存在します。
これを圧倒的民意と言わずして何というのでしょう。
表はこちらのページから抜粋
(2020年ミャンマー総選挙) 選挙結果速報――国民民主連盟が再び地滑り的な勝利
独立行政法人日本貿易振興機構 (ジェトロ)アジア経済研究所
476議席中396議席(選挙実施議席の83.2%)もの圧倒的多数のNLDへの支持があり、これは民意と言えます。
他の少数民族の政党などがまさか軍の独裁を望んでいるとは考えにくい。
民主主義が全てだとは思っていないだろうが、少なくとも「独裁派」ではないだろう。
そう考えると敢えて「民主派」以外があるとすれば
いわゆる軍の息のかかっているという政党「連邦団結発展党」(Union Solidarity and Development Party、USDP)の僅か8.4%だけではないだろうか?
実に「民主派」は91.6%以上。
これは~派などに分類されるべき事ではないはずです。
日本ではこれを民意であり国民の意思と言うのではないだろうか?
ここを基準に語られなければ全てがおかしくなるように思うのです。
クーデターが起こり、ここまで、7ヶ月と半月で圧倒的に軍への支持が増えたなどという事が有りえないのはもはや誰とも争う必要がないことであると思う。
軍はずっと不正を訴えているが、彼らが根拠としているのは有権者名簿をめぐる疑惑である。
このBBCニュースの検証記事で
軍は、名簿に多数の相違点と無資格者が見つかったと主張、これまでに示した証拠では、約1050万件の不正があったとしている。
この名簿により、同一人物が異なる場所で有権者登録し、複数回にわたって投票した可能性があると主張。
しかし、選挙管理委員会は投票を済ませた人の指には、1週間は落ちないインクで色をつけていたと指摘した。
1週間消えないインクは、世界各地の多くの選挙で使用されている。
ミャンマーで使われたインクは、国連と日本から提供されたものだ。
記事を詳しく詠んでいただければわかるが有権者名簿の疑惑が即不正に繋がるという事は考え難い。
最後の項目では「ミスと不正は別」とされている。
そもそも日本を含めた世界中から選挙監視団が来ている中で、かの選挙は「結果に大きな影響を及ぼすような不正は無かった」と判を押されているのだ。
こちらの日経新聞の記事でも確認できます。
このことについては日本を含め世界は改めて見解を大きく発表するべきではないだろうか。
世界の目を真っ向から否定した軍の声明に強く反発しないとその存在意義自体が疑われることになる。
古今東西どこの国でもこういったやりとりは大きな選挙の後には大小行われていることだが、一つの疑惑を基にクーデーターを起こした国などあるのだろうか?
勿論不正があったのならば正さなければならない、選挙は民主主義の根幹であるからだ。
しかし、それがクーデターを起こして良いということにはならないだろう。
こんな理論は世界中が聞いて呆れるところだ。
「これはミャンマーの憲法に則っている」とどこまでも軍が言うのなら、
その2008年憲法はもはや憲法などと呼べるような次元の代物ではないと自ら言っているようなものである。
「選挙に不正があると軍が認識すればクーデターを起こして良い」
ただの一部も道理通らないと思うのだが、この無理をどうしても通そうというのが今の軍なのだ。
似たような話をどこかで聞いた事があると思ったら、去年行われたアメリカ大統領選挙だ。
くしくも開催時期は近い。
選挙結果に不正があると散々騒がれ、世界の注目するところとなった。
最後はトランプ元大統領が軍を掌握してクーデターを起こし選挙結果を引っ繰り返すというような映画みたいな話も飛び交ったが終わってみれば選挙結果を遵守し、今はバイデン大統領が執務を滞りなく行っている。
どれだけ不正が疑われたところで疑いだけで国を引っ繰り返すようなクーデターなど起こして良い道理はどこにもない。
確実にあったとするならそれを誰もが納得するような場で明らかにするべきだ。
今の世界での常識ならそれは国内もしくは国外の司法の場であろう。
それはアメリカであろうがミャンマーであろうが同じだ。
何度でも言うが不正疑惑でクーデターを起こして良い道理など存在しない。
こんな当たり前の事も理解できない軍(正確には限られた軍の上層部であろうが)
に全ての権限を奪われるかもしれないミャンマー国民はまさに今悲劇の中にいるのだ。
何とかならないのかと毎日思う。
何か出来る事はないのかと日々考える。
私一人で何がどう出来る訳でもない。
これを読んでくれたあなたが一人でどうにか出来る問題でもないと思う。
しかし、小さな誤解がやがて偏見となり、結果今最も苦しんでいている多くのミャンマー国民が言論で攻撃されるなどというおかしな逆転現象が起きることだけでも何とか回避したいと思う次第であります。
表題にある正解ではなく最適解が必要というのは私個人の悲痛な願いでもあります。
今ミャンマーには大きな絶望とわずかな希望しかありません。
誰が考えてもわかる正解というのはある意味最も今のミャンマー国民を苦しめるものかと感じています。
多くの国民は例え敵であっても人を殺める事を是としているのではありません。
力を持たない事ではもう大切な人をそしてこの国を守れないと多くの国民が思わざるを得ないのだとしたらそれは受け入れるべき現象なのではないでしょうか?
少なくとも私は今、それに代わる代替え案を持ち合わせていません。
「軍の言う通りにしてとにかく死なないようにする」
は近代史を軽くひもといただけでもう3度裏切られているのです。
限界を迎え、もうこれ以上の非暴力は無理だと国民の代表が宣言する事が、これまで軍が行ってきた罪を超えると私には思えません。
誰が見ても真っ当な正論は時に追い詰められた人を更に追い詰める凶器となります。
その凶器で与えるのは世界から見捨てられたという更に大きな絶望だけではないでしょうか?
そんな優しくない世界は真っ向から否定したいと思います。
私はこの通り、どこまでいってもミャンマー贔屓が甚だしい人間です。
最後まで私の駄文を読んでくださっている方にこのような持論を聞いていただいただけで全て理解してもらおうと思いあがってはいません。
ですが、もし少しでもミャンマーへの誤解や偏見があったと感じたなら、ほんの少しでも改善する方向性を探して欲しいと願っています。
そして今日をきっかけに今少し多く、ミャンマーへの関心を寄せていただけたら幸いです。