ミャンマーに暮らす
それでもミャンマーでデモは続く
昨日に引き続き、今日もミャンマー全土でデモは続いているらしい。
しかし、2月や3月とは様子が違うようだ。
日本ではニュースになっているのだろうか。
Global Myanmar Spring Revolution Dayと称する事で世界的なデモ活動にしようという動きがありミャンマーや日本だけでなく世界10か国以上でデモが行われた。
美しいなと思うのは日本でも、それ以外の国でもそれぞれの国に住んでいるミャンマー人の人々だけでなく、その国の人々や、場合によってはそれぞれの国に住む他の外国人も一緒になってデモ活動しているらしい。
これが果たしてそのように世界に影響を与えていくかはわからない。
しかし、少なからずミャンマーの人々の力になっているのではないだろうか。
そう感じてならない。
昨日の動画に続けて今日も中田敦彦氏がYouTubeでミャンマークーデタ―についての解説動画をアップされていた。
昨日の動画を観ていない方はこちらから観ていただけたらと思う
彼の解説が全てだとは思わない。
ところどころ気になる表現はあったりするが、彼ほど認知のある人物が自分の知識を持って(聞けばかなり高学歴な方だという)発信してくれるのはありがたい事だと思う。
これをキッカケに今のミャンマーに興味を持ってくれる方が増えるのを願う。
今日アップされていた後半の動画について私なりにポイントだと思ったのは下記のようなだと考える。
アウンサン・スー・チー氏がミャンマーという国を未来へ進めていくにあたって、優先したのは自国の民主化であり、憲法改正だったのではないかという中田氏の考察。
当時のロヒンギャ問題は内外で大きな波紋を起こしたが、確かにそう言われると、スー・チー氏は国を治める代表の政治家としてその選択を取っていたと考えると納得がいくところがある。
当時、「彼らは元々ミャンマー人ではないんだよ」というビルマ族の知り合いの言葉が思い出される。
この国の民族問題は我々が思っている以上に深く長い歴史があることなのだなとその言葉は深く心に刻まれている。
とはいえ現状のクーデタ―にどう影響しているのかなど、2月1日の時点では全く考えなかった。
事態は考えている以上に複雑だ。
一つ一つを丁寧に紐解いていかないとこの難題のスタート地点からベクトルを間違う事態になりかねないと感じている。
事態を単純化の方向を持っていこうという思想は危険だ。
それは日本のような自由で開かれた議論が許される場であれば、それも一つの考えとして尊重されるべきものなのかもしれないが、今のミャンマーにおいては、方向性を間違えた議論で人が死ぬ事態になりかねない。
もう一つのポイント、この闘いは国軍とスー・チー氏のどちらに正当性があるのかという戦いなのだという考察。
なるほど、これは非常にシンプルでわかりやすい対立構造の説明だなと感じた。
国内での多数派は間違いなくスー・チー氏支持だとは思うが、軍事という巨大な力を軸にした国軍との正当性の対決を国際社会がどう受け止めどちらをどのように支持していくのかは確かに大きなポイントだと感じた。
そして、最後に軍部も一枚岩ではないのではないかという考察。
これは恐らく間違いないだろう。
それ程、このクーデタ―には軍が利するところというのは少ない気がしている。
それでもやらなければならない理由は国軍40万人という中では共有しきれていないのはほぼ間違いないだろう。
それでも全体として、離脱する兵があるとは言え軍は軍として上層部の思い通りに動いているであろうことに恐怖を感じる。
今日も一市民が殺されているのだ。
ミャンマーがこの緊迫した状況下の中、好奇の視線に晒されるというのは納得がいかないところもあるが、何でもかんでも当事者意識を持って欲しいというのも自分勝手な話なのかもしれない。
複雑な面持ちで動画を観ながら、それでも無関心よりはよっぽどマシだと思いこの動画の話を今日も取り上げた。
国際社会の支持を得る為にスー・チー氏のように時には多くの批判に耐えながらでもこの国の為になる方法を考えないといけないのだと思う。
少しでもミャンマーが良い方向になるような動きを願っている。
明日もデモは続けようと特に若者達は息巻いているらしい。
この国の未来を担う彼らの無事を今日も願って止まない。