最新記事

前米副大統領

「拷問の番人」チェイニーの暴走

テロリストに対する拷問を何が何でも正当化しようとするディック・チェイニーは、文明を後退させる存在だ

2009年9月7日(月)17時51分
ジョナサン・オルター(本誌コラムニスト)

ネオコン代表 チェイニーの強硬姿勢は今も健在 Joshua Roberts-Reuters

 引退したアメリカのディック・チェイニー前副大統領は、バラク・オバマ大統領にとってケーブルテレビによく登場する不愉快な存在だが、政治的な脅威ではない――この先テロが起きなければの話だが。そうなれば、チェイニーは予言者であるかのように振舞って、悪意に満ちたオバマへの中傷(軟弱なオバマはアメリカを守っていない、など)が証明されたように見せかけるだろう。

 7年半の残り在任期間中にテロがなくならなければ、オバマは前副大統領の中傷に反論するためさらなる力強い方法をとる必要に迫られる。アメリカはいま無人機を使い(もうすぐ空軍で最多になる)、できる限り多くのアルカイダ戦闘員を殺害しようとしている。ただオバマがウサマ・ビンラディンを殺しさえすれば、チェイニーは黙るのだろうか。

 たぶんそうではない。歴史的な議論に勝利する以上のことを目論み、陪審員予備軍に「毒」を盛ろうとしている男は、憲法や法の支配の再定義をもくろんでいる。もしチェイニーが勝利すれば――世界中の人権侵害者が喜び、テロリストの勧誘活動が容易になり、アメリカ外交が悪影響を受ける。無罪の根拠が増えるので、テロリストの起訴も難しくなる。

拷問はテロ防止に役立たない

 先週、米テレビ番組FOXニュースがチェイニーのインタビューを放映したが、2つの単語が耳に飛び込んできた。クリス・ウォレス記者が「CIA(米中央情報局)の取調官が一定の法律に違反した尋問を行ったケースもあなたは承認するのか」と質問した時に、チェイニーは「I am(承認する)」と応えた。

 この答えは簡単だが実に恐ろしい。彼は結果によっては犯罪的な手段も正当化されると言ったのだ。これは非常に反民主主義的で独裁主義的な考え方だ。法律を無視してもいいのなら、なぜ「強化された尋問テクニック」(拷問を禁止するアメリカの法律を逃れるための手法だ)にインチキの法的許可を与えたのか。

 仮に拷問が結果を出したとしても、それを正当化することはできない。9・11テロの首謀者ハリド・シェイク・モハメドは、水責めによる拷問の後に事件に関する有益な情報をもたらしたとされた。ワシントン・ポスト紙によれば、彼は70人ものテロリストの名前を明かしたが、ほかの拷問された人たち同様、モハメドは痛みから逃れるために嘘をついていた。

 実際、多くの取調官が拷問によってもたらされた偽情報で時間を無駄にしたと証言している。最近機密解除された国務省の文書には、04年のCIA監察官の報告書が含まれている。そこで監察官は水責めや他の拷問によって集められた情報によって、特定の「切迫した」脅威を阻止できたという確証は得られなかったと認めている。何千人のアメリカ国民の命を救うため拷問は「必要不可欠」と言うチェイニーの主張は立証されていない。そもそも証拠があるなら、チェイニーが喧伝する必要はないではないか。

 私はチェイニーを世界的な拷問者の1人に加えるつもりはない。ただそれに近い存在になりつつある。「移行期の正義の国際センター」(ニューヨーク)のポール・バン・ジルにいわせれば、チェイニーは名の知れた独裁者よりもたちが悪い。「チリのアウグスト・ピノチェトや南アフリカのピーター・ウィレム・ボタは、拷問を正当化しようとしなかった。だがチェイニーは拷問を道徳的な根拠を示している。文明にとって大きな後退だ」と、バン・ジルは言う。

 自分たちの政権が脅威に晒されていると感じると、無慈悲な指導者は新しい主張を持ち出して悪用する。エリック・ホルダー米司法長官がもし調査に乗り出さなかったら、世界に「拷問は悪だ、私たちを除いて」というメッセージを伝えることになっただろうと、バン・ジルは話す。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

石破首相「双方の利益になるよう最大限努力」、G7で

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 8
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 9
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 10
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中