両腕のない世界的ホルン奏者の願いは「普通と見られたい」
©Maike Helbig
<若手音楽家として注目を集めるフェリックス・クルーザーは、生まれつき両腕がない。自叙伝『僕はホルンを足で吹く』に綴られた成功への軌跡と、「障害者の手本にはなれない」と語る彼の願い>
2013年8月、ドイツ出身のホルン奏者フェリックス・クリーザーのデビューアルバム『Reveries(夢想)』が発売された。ロマン派の作品を集めたこのアルバムは、ドイツ国内で高い評価を受け、クリ―ザ―はECHOクラシック賞最優秀新人賞を受賞する。
審査員が「彼は輝かしい成功へのスタートを切った」と予告したように、2015年に発売された2枚目のアルバムは瞬く間にクラシックチャートの3位にまで登り、2016年にはクラシック音楽界で活躍した若手に贈られるレナード・バーンスタイン賞を受賞して若手音楽家としての地位を確立。欧州とアジアを中心にコンサートツアーを行い、2017年には来日コンサートも果たした。同年9月末には3枚目のアルバムが発売されている。
今や世界トップクラスのホルン奏者となったクリーザー。しかし、上の写真を見れば分かるように、彼には両腕がない。
『僕はホルンを足で吹く――両腕のないホルン奏者 フェリックス・クリーザー自伝』(セリーヌ・ラウワー共著、筆者訳、ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)は、ドイツで2014年に出版されたクリーザーの自叙伝だ。デビューアルバム収録のためにスタジオ入りする場面から始まり、レコーディングやプロモーションの様子、評価を得るまでの自信と不安の間で揺れる日々が綴られている。
同時に、爆破専門技師になることを夢見ていたやんちゃな男の子が、プロのホルン奏者になるまでの回想が交錯していく。
1991年にドイツ中部のゲッティンゲンで生まれたクリーザーは、早すぎるという周囲の困惑をよそに4歳でホルンを始め、13歳でハノーファー音楽芸術大学のレッスンを受けるようになった。16歳で受けたインタビューがきっかけでプロになる決意をするが、そのためにはどうしても克服しなくてはならない課題があったという。生まれつき両腕がないことだ。
クリーザーにとって、足を使った演奏は「普通」のことである。しかしプロになるためにはホルンのベル(発音口)の中に右手を入れて演奏する必要があった。
「ナチュラルホルン」と呼ばれる当初のバルブのないホルンは、吹き込む息によってでしか音程を変えられず、「自然倍音」と呼ばれる音しか出すことができなかった。18世紀になるとベルの中に右手を入れて音程を調節する「ゲシュトップ奏法」が誕生し、半音階を出すことが可能になる。19世紀中頃になるとバルブによって音階を変える「バルブホルン」が登場するが、音色を変化させるために右手はベルの中に入れられたままだった。
クリーザーは数年をかけて奏法を工夫するが、「音色を見出すために信じられないほど練習した」と振り返っている。