最新記事

経済政策

格差を縮めたブラジルのチカラ

金融危機で打撃を受ける途上国が多いなか、積極的な貧困対策で貧富の差を改善して飛躍に弾み

2009年10月5日(月)13時29分
マック・マーゴリス(リオデジャネイロ支局)

 世界的な金融危機の中で明るいニュースを探すためには、顕微鏡でも使わなければ無理だろう。しかし意外な場所で、小さな光が輝きを放っていることが分かった。

 経済の低迷が社会の最も弱い存在である貧困層を直撃することは、開発学の常識だ。世界経済が傾けばなおさらだろう。実際、金融危機後の数カ月で貧しい国の貯蓄は失われ、雇用は崩壊し、貧困解消の流れは逆行した。ところが貧しいはずのブラジルが、その通説を覆すかもしれない。

 途上国でも特に社会格差が激しいとされるこの国で、貧富の差の拡大に歯止めがかかった。楽観的観測では縮小している可能性もある。最近の経済統計を見ると、底堅い国内市場と政府の積極的刺激策のおかげで、貧困層の苦境は他国よりも軽度で済んでいる。

 応用経済研究所(IPEA)の最新調査によれば、所得格差の程度を示すジニ係数(数字が大きいほど不平等)が世界経済の不調をよそに改善したという。

ジニ係数が史上最小に

 大都市圏のジニ係数は金融危機直前の昨年6月に0・544だったが、現在は0・526。わずかな下げ幅とはいえ、貧困地区が富裕層の豪邸に隣接するこの国では大した成果だ。

 ブラジル政府によれば積極的な刺激策、特に貧困層向けの減税や政府系金融による貸し付け拡大、現金給付などが危機を救ったという。地道な経済改革で確立した金融システムやインフレ抑制策などのおかげで、多くの新興国よりもはるかに良好な状態で金融危機を迎えることもできた。貸出金利を大幅に下げることが可能だったのはそのためだ。

「ブラジルには体脂肪を燃やす余裕があった」と、ジェトゥリオ・バルガス財団のエコノミスト、マルセロ・ネリは言う。

 ネリによれば、ブラジルは貧困解消において目覚ましい成果を挙げている。実際に90年代半ばから急速に格差は縮小したという。ハイパーインフレ(貧困層にとっては最悪の「課税」だ)が終息し、外国との貿易のためにブラジル経済の門戸が開かれた。

 不振から脱却したブラジル経済の昨年の成長率は5・1%。GDP(国内総生産)は1兆5000億ドルを超え、03年から09年6月の間に800万人の雇用が創出されている。過去10年間続けてきた貧困層への現金給付も、安上がりで効果的だった。GDPの0・5%未満の金額で1億9000万の人口の4分の1が救われた。

 ジニ係数の推移を見ると、アフリカに近い水準だった80年代から縮小し続け、08年7月に0・561の史上最小水準を記録(アメリカは約0・380)。その後金融危機で社会の歯車が狂い、今年1月には0・577に跳ね上がった。2年かかってたどり着いた成果が帳消しにされたことになる。

富裕層の経済力低下も

 しかし幸いなのは貧困層が取り残されていないことだ。この点でブラジル政府とネリの意見は一致する。「不平等は拡大していない」とネリは言う。「世界的な景気下降局面では素晴らしい結果だ」

 控えめな褒め言葉に聞こえるが、ブラジル人にとっては大きな賛辞だ。潜在的な国力を持ちながら飛躍できないブラジルは、20世紀の大半を通じて世界有数の不平等社会と評されていた。繁栄する小国ベルギーと人口が多く貧しいインドが混じり合ったような国だ、と。89年にはジニ係数0・625を記録し、世界に恥をさらした。

 それがこの10年で約2700万人が貧困層から中流層へ脱し、貧困ライン以下の人口の割合は02年の約30%から約19%へ激減した。

 だからといってシャンパンで乾杯できるわけではない。格差縮小には富裕層の零落という要因もある。賃上げや社会給付、減税などの景気刺激策は財政赤字の海へと急展開する危険をはらんでもいる。 それでも、ブラジルが今のところジニ係数という魔物を抑え込んでいることは確かだ。

[2009年9月 2日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中