中国人が日本の仏教に心酔する理由
東京・北新宿にある真言宗豊山派のお寺、圓照寺 Courtesy of Enshoji
<中国では文革期に仏教がつぶされ、私は日本に来てから仏教の素晴らしさを知った。多くの在日中国人経営者も、読経や写経、座禅を経験している>
詳しくは11月14日号(もしくはウェブサイト)で読んでいただけたらと思うが、前回のコラムで、元従業員に裁判で負けて大金を失った話を書いた。
あまりに理不尽な結果で気がめいっていたため、気持ちを紛らわせようと自宅から程近い圓照寺(えんしょうじ)を訪れた。東京・北新宿にある真言宗豊山派のお寺で、小規模だが素晴らしい日本庭園がある。実は写真家の篠山紀信さんの実家で、これまでも度々訪れていた。
春には紅白2色の梅、中央に鎮座する枝垂(しだ)れ桜、春から初夏にかけては色とりどりの牡丹(ぼたん)、秋には見事な紅葉と、境内の庭園で季節ごとの植物を楽しめる。
その日はちょうどベテランの庭師が笹の根を掘っていて、私は思わず話しかけた。日本文化が好きで、自宅にも猫の額ほどの日本庭園を造って庭いじりを楽しんでいるんです、ここは本当に立派ですね......と。
荒井さんというその庭師によれば、圓照寺はかつて桜の御寺として名高く、庭園の桜は「江戸の三桜」の1つにも数えられていた。その後、戦災があり桜の木も焼失したが、20数年前から荒井さんが中心になって、枝垂れ桜の若木を探しに福島まで足を延ばし、石も群馬などから徐々に集め、時間をかけて庭を造っていったという。
お寺の庭なので、仏様のいる本堂からどう見えるかを考える。木を植えるときも、石を置くときも、仏様に「これでいいか」と聞く。自分が造りたい庭ではなく、自然のままに造ること。我を入れると庭が死んでしまう。最も大切なのは自然と無我だ──。実は僧侶でもあるという荒井さんは、私にそんな庭造りの神髄を教えてくれた。
しかし、今の世の中は「無我」とは程遠く、皆自分のことばかり考えている。争いが絶えず、ウクライナやパレスチナでは今も殺し合いが行われている。慈愛の精神を大切にする仏教がもっと広く信仰されていれば、もっと違う世の中になっていたのではないかと思ってしまう。
中国では文化大革命期に仏教がつぶされ、私自身、宗教に興味を持つことなく育った。仏教に引かれるようになったのは日本に来てからだ。どこに住んでも近所にお寺があり、それらは中国の寺院と違って素朴だが、きちんと守られ、手入れされている(圓照寺ほどの見事な庭園は珍しいが)。