「人質斬首」イスラム国はまだ終わっていない
The Never-Ending Story
「元イスラム国」が出所後に直面する困難
ハーシムによれば今、一番の課題は刑務所とは別にあるという。
「出所後に元囚人が地域の人々から拒絶されている」
この問題はイラク北部の街モスルで顕著に見られた。モスルはISがイラク側の拠点として支配した場所でもある。
市内にある青少年更生施設を訪ねた。ここには9歳から22歳の青少年340人が収容され、うち250人がIS関連の罪で服役している。
建物の中には若者たちが描いた絵が飾られ、清掃も行き届いていた。職員も囚人たちの表情も比較的明るい。大人に比べて青少年には支援が届きやすいため、複数のNGOによって教育、アートセラピー、カウンセリング、出所後のフォローアップが実施されている。
案内された二段ベッドの並ぶ居房には、青い制服を着た30人ほどの若者たちが整列して座り、こちらを見ていた。インタビューすることは許されなかったものの、聞いていなければ彼らがISにいたとは想像できないほど敵意のない、あどけない顔をしていた。
17年に別の更生施設で取材した際も、「父親とけんかして家出してISに入った」「家族がISに攻撃されそうだったので忠誠心を示すために入った」という、過激さとは関係のない理由で参加した10代の若者たちもいた。
しかしながら、ハーシムが述べたように、問題は刑務所の外にある。更生施設で支援活動を行うNGOハートランド・アライアンスの弁護士ファラハ・サフィーはこう解説した。
「刑務所を出て家に帰っても地域社会から『元イスラム国』ということで受け入れられず、自殺してしまった子がいた。就ける仕事も限られ、ゴミ山で鉄くず拾いをしている人が多い」
イラクはISを生み出した場所であると同時に、最もISの被害を受けた場所の1つでもある。住民の中には家族を殺され、住む場所を破壊された人たちがたくさんいる。
IS支配以前、シーア派中心の政府の統治方法にスンニ派住民は不満を抱いていた。ISが出現した時、ISのことを、「イラク政府の圧政から救ってくれる救世主かもしれない」と支持してしまった人々もいた。次第にISは残酷な姿を見せるようになり、人々の心は離れていったが、同じ家族や近所の人たちの間でも支持、不支持と立場が分かれてしまったのである。
中部ファルージャ近郊出身の20代の女性は、夫と義理の兄がISに入っていたという。
「夫はイラク政府に不当に拘束された女性たちを解放するための戦いだと言っていた。私は止めたけれども、夫の考えは変わらなかった。それで夫と離婚したけれど、彼のことが原因で仕事が何度も不採用になった」
ISの被害者の多くは、元IS関係者が出所して自分の近所に戻ることをよく思わない。たとえその人物が殺人を犯してはいなくても、IS関係者だったことへの嫌悪感がある。出所者は、「元ISメンバーだ」というスティグマ(社会からの烙印)に苦しむことになるのだ。
32歳の息子がISに加わった容疑で捕まっている女性は、「息子は無実。でも、もう10年刑務所にいる。近所の人も無実だと知っているはずなのに、私とは関わらないようにしているのが分かる」と話す。出所者は、関係者家族よりもさらに厳しい視線にさらされるのは容易に想像がつく。