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イギリス

英新首相トラスを待つ2つの大問題

Two Daunting Challenges

2022年9月12日(月)16時15分
デスピナ・アレクシアドゥ(英ストラスクライド大学政治学准教授)
リズ・トラス

トラスは悪天候のなか、英首相官邸前で就任後初の演説を行った TOBY MELVILLEーREUTERS

<イギリスの全世帯の3分の2が「燃料貧困」になる恐れ。高インフレと光熱費高騰に直面しており、しかも両者は同一の問題ではない>

イギリスで新たな政権が誕生した。約2カ月にわたる与党・保守党党首選の激戦を勝ち抜き、一般党員の投票による決選投票で対立候補リシ・スナク前財務相に大差で勝利したのはリズ・トラス外相だ。

9月6日、エリザベス女王の任命を受けて、トラスは正式に首相に就任した。

しかし、イギリスにはこの秋、重大な経済的問題が複数待ち受けている。必死になって首相の座を射止めたのは間違いだったと、新首相は後悔することになるかもしれない。

トラスは減税や英国内に残るEU法令の早期全廃、国民保険料の引き下げを公約。そのシンプルなメッセージで、保守党員の心をつかんだ。

だが新政権は当面、シンプルではない状況と闘うことになりそうだ。

イギリスは、高いインフレ率と光熱費の高騰という2つの差し迫った大問題に直面している。高インフレの最大の要因はエネルギー価格高騰にあるものの、両者は同一の問題ではなく、異なる対応が必要になる。

トラスは保守党党首選中、エネルギー企業による再度の値上げを防ぐため、エネルギー価格上限を半年間据え置く措置に消極的だった。そのため、英世帯の3分の2が「燃料貧困」に陥り、健康上推奨される水準の暖房利用も不可能になる恐れが浮上した

問題の深刻さは先月、英規制当局であるガス電力市場監督局の幹部の辞任劇によって証明された。同局は消費者ではなく、供給サイドの利益をより重視していると、この幹部は非難した(トラスは9月8日、家計のエネルギー料金の上限を2年間、年間2500ポンド程度に抑えるとの計画を発表している)。

一方、イギリスの消費者物価指数(CPI)は今年7月、前年同月比で10.1%上昇した。約40年ぶりの高水準だ。

さらに懸念されるのは、高インフレがエネルギーだけでなく、食料品の価格高騰によって引き起こされていることだ。

例えば、牛乳価格はこの1年間だけで4割値上がりしている。牛乳を含め、価格上昇中の製品の多くは通常ならインフレ圧力に強い製品だ。

言い換えれば、これはインフレが長引くことを示唆している。

支持率の行方に疑問符

インフレ率を引き下げて生活費上昇に対処するのは、経済的にも政治的にも難しい課題だ。

高インフレの背景要因は、新型コロナ対策のロックダウン(都市封鎖)やウクライナでの戦争だけではない。世界的金融危機以降の低金利や量的緩和も、資産価格上昇や家計支出増加の一因になってきた。

英中央銀行のイングランド銀行は今後、さらなる金利引き上げを迫られるだろう。金利が上がれば、カネの価値がより高くなり、借り入れはより高くつくことになる。経済活動は縮小し、いずれは雇用も減少する。

高インフレと金利上昇が原因で、英経済は近く景気後退に入ると、イングランド銀行は警告している。

あらゆる世帯がその打撃を受けるわけではない。金利引き上げで、富裕層の預金はさらに膨らむ。

景気後退の影響を肌で感じることになるのは、預金を持たずに労働収入に頼る層だ。とはいえ住宅ローンの利息が増えるため、中間層にも痛手は及ぶ。

金利引き上げは、トラスの支持率にダメージを与える可能性が高い。長引く緊縮財政で公共部門が苦境に陥り、社会保障給付費が最低水準にある現状ではとりわけそうだ。

景気後退の影響は、平均所得以下の世帯にとって輪を掛けて苦しいものになるだろう。歴史的にみれば、政府がより積極的に金利を引き上げ、より迅速にインフレを抑えてきたのは、充実した社会保障制度や失業手当が、国民を守る手段として存在する場合だ。

労働組合に否定的なトラスの姿勢も、新政権への支持をさらにむしばむ結果になりかねない。

昨今の「生活費危機」に労組と協力して取り組むつもりはないと、トラスは明言している。賃金上昇が物価上昇に追い付かない状況のなか、長期的なストライキが発生する懸念もある。

新たな首相は、次期総選挙で有権者の大きな支持を得られるのか。難問が猛スピードで出現している今、答えを予想するのは難しい。それどころか、このタイミングでこの国の首相になりたいと考える人がいたという事実さえ、理解するのは困難だ。

The Conversation

Despina Alexiadou, Senior Lecturer at the School of Government and Public Policy, University of Strathclyde

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

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