最新記事
日本社会

コロナ禍で考えた日本人の正義感と「他人への忍耐の強要」

2021年9月14日(火)13時30分
アルモーメン・アブドーラ(東海大学教授)

一見無関係であるように見えるが、正しい行い、または正しい対応をめぐって、名古屋入管の収容施設で亡くなったスリランカ人女性の事件はさまざまな問いを突きつけた――ルールの虜になった人間は、本当に安心で安全な世界を築けたのか、私たちは人に優しくできるのか、病に倒れた者にどう向き合うのか。日本社会のメンタルヘルスや人と人との健全な関係についても考えずにはいられない。

収容施設の看守は、目の前で人が死ぬのを見ても何もしないという心の痛みにどのように耐えられたのだろうか。救急車も呼ばず、食事も与えず、何もせずただただ死ぬのを見ていたのだろうか。日本の入管がまとめた今回の事件の報告書では、彼女の死と「医療体制の制約」、つまり医療の不備の因果関係はないとしている。この事件の真の犯人は誰だろうか。日本の入管がいうように彼女を死に追いやったのは人ではなく、病気だけだろうか。ここでも日本社会の正義や正義感が本質的に問われている気がしてならない。

日本人の正義は、共同主義的要素が強いようだ。つまり、人倫による「正しさ」と不可分で、個人よりも社会全体に共通となる「正しさ」が優先されるのが日本社会の特徴となる。一方、日本人の正義判断には全くの客観的な基準はなく、感情の関与を認めている。そのためなのか、自分の考え方や信条などと合わない異質な考え方への不寛容があるとみられる。

マスク着用を怠ったり(マスクを少しだけ下ろすだけでも)、要請に反する行動をする人を注意する「自粛警察」という社会的現象もその発想の現れだろう。

どんな社会も人間関係なしでは成り立たない。社会の基本は人との関わりである。 人を許せるかが、今の日本では問われているのではないか。

その昔、大和国で一人の青年が仙人に「人生に役立つ知恵一つを教えてくれ」と求めた。仙人は、「自分に厳しく、他人に優しく」と諭した――。

自分に優しく、他人に優しく

そんな物語があってもおかしくないほど、日本人は自分に厳しくなれることが美徳の一つだと考えている。言葉は「社会・文化を映し出す鏡だ」と言われている。若い頃はあまり実感していなかったが、最近は本当にそうだと思う。日本が誇る文豪である司馬遼太郎が未来の世代に向けて表した著書『二十一世紀に生きる君たちへ』の中には印象に残る一節がある。

「君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。――自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を」

司馬遼太郎は私が尊敬している作家の1人ではあるが、この一節にやはりどうしても納得できず、同調しかねるところがある。

自分に優しくできれば、他人にも優しくなれるはずである。つまり、こうである。

・自分に優しく+他人に優しく=優しく寛容な共同体
・自分に厳しく+他人に厳しく=厳しく不寛容な共同体
・自分に厳しく+他人に優しく=理想にしか過ぎない

冷静に考えてみたら、自分に厳しい人はどうやって相手に優しさを放出できるのか。その原動力となる優しい自分がいなければ、相手にも優しさなど振りまく力が湧いてこないのでは、と私は考える。

almomen-shot.jpg【執筆者】アルモーメン・アブドーラ
エジプト・カイロ生まれ。東海大学・国際教育センター教授。日本研究家。2001年、学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科で、日本語とアラビア語の対照言語学を研究、日本語日本文学博士号を取得。02~03年に「NHK アラビア語ラジオ講座」にアシスタント講師として、03~08年に「NHKテレビでアラビア語」に講師としてレギュラー出演していた。現在はNHK・BS放送アルジャジーラニュースの放送通訳のほか、天皇・皇后両陛下やアラブ諸国首脳、パレスチナ自治政府アッバス議長などの通訳を務める。元サウジアラビア王国大使館文化部スーパーバイザー。近著に「地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人」 (小学館)、「日本語とアラビア語の慣用的表現の対照研究: 比喩的思考と意味理解を中心に」(国書刊行会」などがある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

英国王夫妻、トランプ米大統領夫妻をウィンザー城で出

ビジネス

三井住友FG、印イエス銀株の取得を完了 持分24.

ビジネス

ドイツ銀、2026年の金価格予想を4000ドルに引

ワールド

習国家主席のAPEC出席を協議へ、韓国外相が訪中
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェイン・ジョンソンの、あまりの「激やせぶり」にネット騒然
  • 2
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 3
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 4
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 7
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「リラックスできる都市」が発…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    「この歩き方はおかしい?」幼い娘の様子に違和感...…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中