最新記事

生態

ホッキョクグマは道具を使って狩りをする イヌイットの伝承は真実だった

2021年8月11日(水)19時10分
青葉やまと

今回新たな習性が知られたのは、イヌイットたちのストーリーに敬意を払って耳を傾けたスターリング博士の姿勢によるところが大きい。博士は、「こうした種の報告が非常に多いという事実、そして基本的な内容がかなり似通っているということが、調査の価値がある何かがそこにあるという可能性を暗示していました」と振り返る。

博士は米サイエンス・ニュース誌に対し、「私の認識としては一般的に、イヌイットの熟練ハンターが何かを見たと語るなら、それには傾聴の価値があり、非常に高い可能性で正しいのです」と語り、イヌイットに対する全幅の信頼を表明している。

天王寺動物園の事例が参考に

ホッキョクグマが道具を使うというスターリング博士の結論は、もちろん古い言い伝えだけに頼ったものではない。さらなる裏付けのひとつとなったのが、日本の動物園で飼育されている個体の行動だ。大阪の天王寺動物園で飼育されているオスのホッキョクグマの「ゴーゴ」に関して、吊るされたセイウチの肉を道具を使って器用に取ることがこれまでに確認されている。

飼育係の職員は2010年、ちょっとした腕試しを仕掛けてゴーゴを気分転換させようというアイデアを思いつく。展示スペース内にあるプールの水面から約3メートルの高さに肉片を吊るすと、当初ゴーゴはジャンプを試みるも、3メートルには届かず失敗に終わった。続いて道具を試すようになり、最終的に長い枝でつついて肉の獲得に成功する。繰り返すことで徐々に上達し、最終的には5分で肉を落とすことができるまでの熟達がみられた。この事例もホッキョクグマが道具を使用する証左のひとつとして、スターリング博士の論文に採用されている。

さらに、野生の個体においても、狩り以外で道具を使う事例が確認されている。カナダ民放局のCTVによると、ある生物学者が動物の脚を縄で捉える罠を設置したところ、ホッキョクグマが岩をおとりに使って罠を空打ちさせ、難なくエサだけを持ち去ったという。このような報告例は稀ではあるが、ホッキョクグマが腕力だけでなく相当な知力をも備えていることを窺わせる。

巨体のセイウチとの闘いを有利に

ホッキョクグマは元々十分な体力を備えていることから、すべての狩りで道具に頼るわけではないようだ。論文のなかでスターリング博士は、飼育下では積極的に道具を使うホッキョクグマが多くみられるものの、野生での道具の使用はセイウチの狩猟に限られるとの見解を明らかにしている。セイウチの成獣は体重が1トンを超えるものもあり、狩りが困難であるほか、ホッキョクグマの丈夫な皮膚をも貫通する大きな牙を持つ。ホッキョクグマにとって、返り討ちに遭う可能性すらある危険な狩りだ。スターリング博士は、こうした分の悪い戦いにのみ道具を使うと考えている。

また、すべての個体が道具をマスターしているわけではなく、狩りの上手い母熊から小熊へと一部の個体間で技術が受け継がれているという。なかにはタヌキ寝入りをしてアザラシを油断させ、近くまでおびきよせるなど、道具の使用以外にも周到な狩りの戦術を駆使する個体もいるという。

イヌイットへの傾聴から始まったスターリング博士の研究は、北極圏を代表する生物の興味深い生態を明かすこととなった。

ホッキョクグマvsセイウチ | BBC Earth

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

フランスでもガザ反戦デモ拡大、警察が校舎占拠の学生

ビジネス

NY外為市場=ドル/円3週間ぶり安値、米雇用統計受

ビジネス

米国株式市場=急上昇、利下げ観測の強まりで アップ

ビジネス

米ISM非製造業総合指数、4月は49.4 1年4カ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    サプリ常用は要注意、健康的な睡眠を助ける「就寝前…

  • 5

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 6

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 7

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 8

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 9

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 10

    元ファーストレディの「知っている人」発言...メーガ…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる4択クイズ

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 6

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 10

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中