繰り返されるミャンマーの悲劇 繰り返される「民主国家」日本政府の喜劇
日本政府のミャンマーとの関係とは、軍事政権とのものでしかなく、国民は視野に入っていなかった。外務省は、民主主義の否定という点では軍政と「共犯者」といっても過言ではなかった。そしてこの体質は、現在にいたるまで基本的に変わらなかった。
軍政が国際社会からどのような批判を浴びる仕打ちを自国民に繰り返そうと、日本政府はつねに民主化運動を弾圧する側に寄りそいつづけた。1988年の民主化運動を今回のクーデター後とおなじように市民への無差別銃撃によって血の海に沈めたあと、90年の総選挙の結果を尊重する公約しながら、ふたを開けてみるとNLDの圧勝という結果になると、公約を反故にして権力の座に居座りつづけた非合法政権に対して、である。そして、2020年11月の総選挙でまたNLDが圧勝すると、国軍はクーデターで国民の圧倒的支持を得た合法政権を葬ろうとした。クーデターに反対する「市民不服従運動」が全国的な高まりを見せると、国軍はなりふり構わず子どもたちにまで発砲をつづける。
ミャンマーの悲劇に一刻も早く終止符を打たねばならないとする国際世論をうけて、米国、EUなどの政府は国軍への制裁措置をつぎつぎに打ち出している。日本政府は同盟国米国の顔色をうかがいつつ、国軍とのしがらみを断ち切れないまま、「われわれは民主化をもとめるミャンマー国民の側に立つ」との明確な意思を打ち出せず右往左往するだけである。
「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」とは、マルクスの有名な言葉である。ミャンマーの国軍は、自国民を悲劇に陥れる蛮行を繰り返そうとして、「王様は裸である」と叫ぶ圧倒的多数の国民の声に耳をふさぐ喜劇の主人公を演じている。王様の親友であることで「民主主義国」という自らの看板を汚す悲喜劇を演じてきた日本政府は、いつまで国際社会の物笑いとなるような役回りをつづければ気がすむのだろうか。
*この記事は、日刊ベリタからの転載です。
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