最新記事

北朝鮮

違反したら命を奪う......金正恩式「禁煙法」の凄まじい本末転倒

2020年11月17日(火)14時00分
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト) ※デイリーNKジャパンより転載

金正恩は超がつく愛煙家として国民に知られている KCNA-REUTERS

<北朝鮮では、今月制定された「禁煙法」によって喫煙についても規制が強化されたが......>

北朝鮮の人々、特に男性は所構わずタバコを吸う。道端、レストラン、ホテルの室内はもちろん、書店の中ですら平気で吸う。

誰かに会ったら、まずはタバコを勧める習慣が定着しており、紫煙をくゆらせながら話に花を咲かせるのが北朝鮮の当たり前の光景だ。単なる個人の嗜好品を超えて、社交に欠かせないアイテムになっているとも言える。

さらには、国際社会の制裁に違反しない手軽な外貨獲得手段としても、タバコは重宝されてきた。

2017年9月に中国の長春で開催された国際見本市「東北アジア博覧会」の北朝鮮ブースは、多くがタバコ販売会社で占められ、多数の販促員が訪れた客に無料でサンプルのタバコを配布するなど、売り込みに必死になっている様子だったと、現場を訪れた日本人観光客が証言した。

しかし、北朝鮮も国際的な流れには逆らえなかったようで、国営の朝鮮中央テレビでは、数年前からタバコの害悪についての教育番組を放送するなど、禁煙キャンペーンを行うようになった。

そして今月開かれた、最高人民会議(国会に相当)常任委員会第14期第11回総会で、タバコの生産および販売、喫煙に規制を強化する禁煙法などが採択された。そして、法制定をきっかけに、国営タバコ工場に対する検閲(監査)が始まったと、咸鏡北道(ハムギョンブクト)のデイリーNK内部情報筋が伝えた。

朝鮮労働党咸鏡北道委員会は、保衛局(秘密警察)、安全局(県警本部)、検察所、裁判所など司法機関から人員を集めて、「社会遵法グルパ(取り締まり班)」を立ち上げた。

新設されたグルパは、当局が社会主義にそぐわないと考える行為を取り締まる「非社会主義グルパ」に名称が似ているが、両者の関係性は不明だ。

グルパの最初のターゲットになったのは、北東部の中国との国境にほど近い経済特区内にある、羅先(ラソン)タバコ工場だ。

タバコの生産と販売が正常に行われているか、横流し、密売、密輸出などが行われていないか、帳簿上の数字と実際の出荷量が合致しているかなどをチェックし、工場幹部に対する取り調べを行っている。

また、禁煙法の施行に伴い、タバコの生産を大幅に減らし、生産設備、原料工場を縮小、従業員を減らす方針を伝達したと伝えられている。ただ、今回の検閲が単に禁煙政策に沿ったものなのか、別の意図があるのかについては、明らかになっていない。

金正恩党委員長の妹、金与正(キム・ヨジョン)党第1副部長は、女性の喫煙者が増えていることを「資本主義生活文化」だとして問題視し、取り締まりを指示しているが、グルパのタバコ工場に対する検閲もその一環として行われていると、情報筋は伝えた。

また、前述のように、女性に限らず男性の間でも所構わず喫煙する習慣が根強く残り、革命史跡館、史跡碑、病院、学校などでもスパスパと吸っているが、グルパはこれも問題視し、来年1月の朝鮮労働党第8回大会に向けた大増産運動「80日戦闘」の期間中に、このような現象を根絶やしにすることを目的に、取り締まりを行っているとのことだ。

グルパは、職盟(朝鮮職業総同盟)、青年同盟(金日成金正日主義青年同盟)のメンバーからなる糾察隊を立ち上げ、羅先市内の30カ所で、喫煙の取り締まりを行い、違反者は労働鍛錬刑(短期間の懲役刑)を含めた法的措置も辞さないと警告している。

参考記事:若い女性を「ニオイ拷問」で死なせる北朝鮮刑務所の実態

そんな禁煙法についての北朝鮮庶民の反応を、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が伝えている。

咸鏡南道の住民は、禁煙法の適用範囲に革命歴史研究室、金日成主席、金正日総書記の銅像の周辺などが含まれたことについて、「この国にはどこにでもあるのが革命歴史研究室で、村ごとに金日成氏、金正日氏を称える宣伝物だらけなのに、そばで間違ってタバコに火を付けたら、政治犯にされて殺されてしまうかもしれない」と、非難の声が上がっていると伝えた。

「人民の生命と健康のためという禁煙法が、人を死に追い込む道具として悪用されるかもしれない」(市民)

北朝鮮では、権力闘争や個人的に恨みを持つ相手を追い落とすために、法律を悪用して政治犯に仕立て上げる手法がしばしば使われるが、禁煙法もそのネタに使われる懸念があるということだろう。

また、平安北道(ピョンアンブクト)の住民は、禁煙法について「呆れた」という反応が市民の間から出ていると伝えた。その理由はもちろん、超が着く愛煙家の金正恩党委員長だ。

「愛煙家として知られたお上(金正恩氏)こそ、喫煙を統制されるべきではないか」

「人民の生命のためという喫煙法ならば、子どもたちがいる孤児院でタバコを吹かし続ける最高尊厳(金正恩氏)が、禁煙法の最初の違反者だ」

また、朝鮮では年長者の前での喫煙はタブーとされているが、庶民は、それを平気で破る金正恩氏を白い目で見ている。

「黄海道(ファンヘド)や咸鏡南道の台風被害復旧現場でも、最高尊厳は、年上の幹部の前で自分一人だけ紫煙をくゆらせている」

「老幹部や戦争老兵(朝鮮戦争の参戦者)を前に、若造の指導者がタバコを吸うなんて、わが国の伝統礼節に反する」

参考記事:金正恩氏の知られざる「トイレ事情」と禁煙失敗の理由

[筆者]
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト)
北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)、『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)、『北朝鮮ポップスの世界』(共著、花伝社)など。近著に『脱北者が明かす北朝鮮』(宝島社)。

※当記事は「デイリーNKジャパン」からの転載記事です。

dailynklogo150.jpg



今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

貿易分断で世界成長抑制とインフレ高進の恐れ=シュナ

ビジネス

テスラの中国生産車、3月販売は前年比11.5%減 

ビジネス

訂正(発表者側の申し出)-ユニクロ、3月国内既存店

ワールド

ロシア、石油輸出施設の操業制限 ウクライナの攻撃で
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中