日本が「普通の国」を目指すのは正しい 間違っているのはプロセスだ
THE GERMAN-JAPANESE GAP
日本は違う。戦前、戦中を通じて天皇だった人物が戦後も皇位にとどまった。しかも国家が組織的に大量虐殺を進めたわけではないから、ナショナリストは「日本は間違いも犯したかもしれないが、欧米列強の支配からアジアの同胞を解放する名誉ある戦いをしたのだ」と主張できた。
要するに、日本では戦争放棄をうたった9条をはじめ、憲法について議論をしようとするなら、歴史問題を避けて通れない。
ドイツ人は国防や外交を議論するのに、いちいち自国の過去について延々と議論をする必要はない。極右でもない限り、ナチスを擁護する人はいないからだ(残念ながら、今はその極右が勢いを増しているが)。
日本はいまだに歴史問題を引きずっている。そのために安倍は日本を「普通の国」にするという悲願を実現できなかったのだ。
それでも、安倍の悲願(後継者の菅義偉首相もその実現を目指しているはずだ)は、国民的議論に付すに値する政策課題だ。安全保障でアメリカに完全に依存する状態は日本にとってよろしくない。民主的な選挙で選ばれた日本政府が特定の状況で武力を行使すべきか否かを判断する権限を持つほうが望ましい。
議論を主導すべき指導者の質
9条をめぐる議論はずるずる先延ばしにされてきた。この議論を行うには、イデオロギーに縛られず、第2次大戦中の自国の行為をきちんと検証する作業が不可欠だ。軍国主義時代の日本にはナチスのような組織的な虐殺計画はなかったにせよ、日本の中国・東南アジア侵攻に伴い、何百万人もの犠牲者が出たことは否めない。その事実を直視すべきだ。
歴史問題の議論は右派ナショナリストの主導ではうまくいかない。「日本のウィリー・ブラント」の名にふさわしい指導者、つまり自国の過去の最悪の罪からも目をそらさず、言い訳をせず、事実を否認せず、靖国神社に参拝したりしない指導者が主導すべきだろう。
今後、日本が民主主義と自由を守るために武力を行使しなければならない日が来るかもしれない。だが、いまだに旧日本軍の戦いを正当化できると思い込んでいるような指導者には、武力行使の権限は託せない。
安倍の誤りは憲法を書き換えさえすれば、日本は普通の国になれると考えたことだ。より思慮深い指導者なら、曇りなき目で歴史を検証することが先決だと気付いたはずだ。
ドイツは歴代の指導者も国民もナチスの過去とまともに向き合ったからこそ、ヨーロッパと世界においてより安定した地位を築けた。日本はまだそれができていない。
日本が自国の罪を公式に認め、近隣諸国の信頼を回復できれば、改憲論議は硬直的で不毛な議論ではなく、国家の未来を見据えた建設的な議論になるだろう。
<本誌2020年11月3日号本誌「ドイツ妄信の罠」特集より>
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