「元徴用工」の主張に違和感を感じる人たち
当時の賃金を研究した李宇衍(イ・ウヨン)氏の主張
実態を裏付ける書がある。統治時代の賃金を研究した李宇衍(イ・ウヨン)氏は、著書『ソウルの中心で真実を叫ぶ』(扶桑社刊)で実態を明らかにし、日本企業に賠償金の支払いを命じた判決を誤審だと述べている。
同書によると、1939年7月から朝鮮半島労働者の「募集」がはじまり、42年2月には「官斡旋」、戦況が押し迫った44年9月から「徴用」がはじまった。労働条件や賃金形態は同一で、日本人と同じ労働条件の適用が義務付けられていた。企業による「募集」や朝鮮総督府が選抜する「官斡旋」は本人の意思が重要視され、応募者は契約書に署名して日本に渡った。
炭鉱や金属の平均賃金は韓国人より日本人の方が高かったが、同書はその理由も明らかにしている。ある鉱山の半島出身労働者は全員が2年未満で、日本人は46.2%が2年を超えており、経験の差が歩合給の多寡につながったと李氏は考える。
また、機械化が進んでいた炭鉱で、経験年数が短い半島出身労働者が機械操作を習得する時間は限られ、高い賃金が支払われる職種は勤続年数が長い日本人に集中した。
十分な給金が支払われなかったと主張する事由に、当時の軍政府が奨励していた強制貯蓄がある。軍需産業の炭鉱や鉱山、工場などでは支払い給与から貯蓄分を天引きし、また家族への仕送りを差し引いて、残った額を労働者に支給していた。強制貯蓄は退職時に返還するが、天引きされる貯蓄額は給与の3割から最大4割強を占めていた。
半島出身労働者の54%が炭鉱や鉱山で働いたが、坑内労働は肉体的にも精神的にも辛く、夜逃げ同然で職場を離れた人たちもいる。夜逃げ同然で行方知れずになった人たちに退職金を払い、貯蓄を返還する術はなかった。
さらに日本がポツダム宣言を受諾して敗戦が決まると、職場を離れて帰国する人が続出した。昨年1月、韓国の高等裁判所は不二越に対して、6人の元労働者1人あたり1億ウォンの支払いを命じる判決を下したが、退職に伴う金銭を受け取らずに帰国した不二越の労働者は485人に上ったという。
日本政府は元労働者の請求権は日韓基本条約で消滅したという立場で、韓国の法曹界も請求権が消滅したという意見と個人請求権は別という意見に別れている。
『ソウルの中心で真実を叫ぶ』を執筆した李宇衍氏は経済学者で、同書は現存資料を分析した内容が綴られている。1939年から45年の間に日本に渡ったすべての半島労働者を網羅しているわけではないが、資料は広い範囲に渡っている。先にお話をうかがった崔さんと同じように現金収入を求めて日本に渡り、戦後、日本に残った人たちとその子孫で、日本企業に対する一連の訴訟を冷ややかに見ている人たちもいることを忘れないようにしたい。