「永遠のよそ者」ブルース・リーの知られざる苦悩
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リーは複数の文化の交差点のような存在だったが、それが時に彼を苦しめた。彼はサンフランシスコに生まれ、香港で育った。父は広東オペラのスター俳優で、母は欧州の血を引く裕福な一族の出身だった。恵まれた子供時代ではあったが、植民地主義のもたらした混乱や分裂という文脈の中で彼は育った。
18歳でアメリカに戻り、ワシントン大学に入学。さまざまな人種・民族の友人と付き合うなかで、恋に落ちた相手は白人のリンダだった。
『ビー・ウォーター』はESPNの番組にしては珍しく、人種問題を丁寧に掘り下げている。リーがハリウッド進出を目指していた時代、黄色人種を戯画的に描く役以外にアジア人俳優の仕事はほとんどなかった。リーはそんな壁を打ち破ろうと必死で戦った。
ドラマ『グリーン・ホーネット』では、粘り強い交渉の末に自身の演じるカトーのせりふや出番を増やすことに成功。だがリーが原案をワーナー・ブラザースに持ち込んだとされるドラマ『燃えよカンフー』では、主役をデービッド・キャラダインに奪われた。
1970年代初めの白人中心のハリウッドでは、アジア系男性が「ヒーロー」役を演じるなどとんでもない話だった。だが香港に戻って初めて主演したカンフー映画『ドラゴン危機一髪』(1971年)で、リーは一躍スターとなる。続く72年の『ドラゴン怒りの鉄拳』『ドラゴンへの道』も、さらなるヒットを記録した。
常に宙ぶらりんの状態
製作にワーナーが加わった『燃えよドラゴン』の世界興行収入は9000万ドル(現在の貨幣価値で言えば5億ドルくらい)に達した。リーを世界に向けて大々的に売り出すという所期の目的も達せられた。もっとも死によって、リーは生きたスターではなく伝説になってしまったのだが......。
本作の最大の欠点は、リーという人間の内面に十分に迫っていないことだ。知人たちの証言は大ざっぱだったり、故人を美化し過ぎていたりする。おかげでリーは多くの偉大な芸術家たちと同じく、そもそも一般人の理解を超えた人物だったのだろうという印象が残される。
本作中でリーは「太平洋のど真ん中」にいるような存在だと表現される。文化評論家のチャンに言わせれば、2つの大陸と2つの文化の間で宙ぶらりんになった状態だ。アメリカにも香港にも完全にはなじめず、成功を収めてからはスターとしての立場があり、家庭では人種や文化の異なる相手との暮らしがあり、彼は常に「よそ者」だった。
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