やはり1つだけは選べない。こうして中村医師の言葉を読み返してみると、コーラン(イスラム教の経典)にも記されている寛容や助け合いの精神とその感覚は中村医師が身をもって実践していたものだと分かる。
中村医師が言うには、昔も今も、また未来においても人間が生きていくうえで変わらないことがある。そのことについて自分の著書でこう締めくくっている。
しかし、変わらぬものは変わらない。江戸時代も、縄文の昔もそうであったろう。いたずらに時流に流されて大切なものを見失い、進歩という名の呪文に束縛され、生命を粗末にしてはならない。今大人たちが唱える「改革」や「進歩」の実態は、宙に縄をかけてそれをよじ登ろうとする魔術師に似ている。だまされてはいけない。「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な子供であった。それを次世代に期待する。「天、共に在り」
今の世界の多くの国では、「王様は裸だ」と言えない状況になっている。また、国際社会は偽善であふれている。欧米の人々が言う人権、平等、自由などは偽善にしか見えない。
一方、イスラム社会も同じように偽善であふれている。アラブ諸国の政府や国民の多くは、言うこととやることがまったく矛盾している。イスラム教は平和な宗教のはずだ。しかし、イスラム教徒である私たちの生活はまったく平和とは言えない状況である。相手の考えを尊重し、共存共栄することや、異教徒を受け入れる、また嫌なことをされても寛大な心でそれを赦すことこそ、イスラム教が最も大切にしている理念だ。にもかかわらず、われわれの社会は暴力に訴える人であふれている。
中村医師の数々のメッセージは、イスラム教徒の私たちにも平和の本当の意味を諭しているように思う。中村医師は「自分のしていることは平和運動ではない。農業ができて家族が食べていければ、結果として平和になる......平和は結果でしかない」と語っていた。つまり、平和は目的というよりプロセスにすべきである。なぜなら、平和を目的にしてしまうと、関係者や当事者のそれぞれのエゴの下で争いが起きてしまうのだ。
12月2日に中村医師が西日本新聞に寄せた文章でこうつづっていた。「国土を省みぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ――終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる」
終末的世相の中で、異国の地で心温まる絆を見出した中村医師は私たちに何を諭し、そして何を啓示したのかを見極めたいものだ。
