『i―新聞記者ドキュメント―』が政権批判の映画だと思っている人へ
それよりも気になるのは、記者クラブの閉鎖性の問題だ。散々言われていることだが、実際になぜあれほど窮屈なのか、改めて疑問に感じる。森は官邸会見に入って望月を撮影しようとするが、いくら申請をしても会見への出席は許されない。官邸前の公道でカメラを回すことさえ、警備の人間に止められる。
少し話が飛ぶが、ここで日米のトップが似ている件が頭をよぎった――自分を批判するメディアを攻撃し(安倍晋三首相は朝日新聞を名指しでたびたび批判し、ドナルド・トランプ大統領は自分に批判的なニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストの購読を中止するよう連邦政府機関に求めた)、嘘をつき、自分の支持者以外を敵視する(国のリーダーとは本来、自分に批判的な立場の人にも公平に接するべき)、言葉に対する意識が低い(漢字が読めなかったり、だらだら答弁をする安倍と、中学生のような英語を話すといわれるトランプ)等々。一方、日本ではいま首相主催の「桜を見る会」問題で公選法違反などの可能性が指摘されているが、政権側はあらゆる言い訳を使って批判を逃れようとしている。「ウクライナ疑惑」で大統領の弾劾調査をしているアメリカのほうが、まだましと思ってしまう。
この違いは何かといえば、メディアと権力の関係も1つの要素ではないか。例えばアメリカなら、記者会見でのやり取りももっと自由にできる。疑惑の渦中にある大統領と、メディア幹部が密かに食事会をしたりしない。
監督自身は「政権批判の作品ではない」と言っているものの、望月が主人公となれば、「見たくもない」と言う政権擁護派もいるだろう。でも映画を見れば、森の言うことは本当だと分かる。政治的立場に関係なく、「i」の意味を考えることの大切さが提示される。最後の最後で、本当にどきっとさせられるのだ。