日韓が陥る「記憶の政治」の愚:どちらの何が正しく、何が間違いか
THE AGE OF MEMORY POLITICS
フランスとドイツの関係を変えた要素は3つある。双方の市民社会団体と草の根の運動(初めはドイツのほうが積極的だった)、シャルル・ドゴール仏大統領とコンラート・アデナウアー西独首相という2人の力強い指導者の政治的な意思、冷戦とソ連の脅威という文脈におけるそれぞれの国益だ。
両国は1963年にエリゼ条約(仏独協力条約)を結んで敵対関係に終止符を打った。しかし、その関係を強固にしたのはその後の教育の変化と、若い世代を中心に社会のあらゆるレベルで交流が深まったこと、そして、EUを通じて地域的な力が強まったことだ。
こうした順応はもちろん個人の記憶を消し去りはしなかったが、それでも両国の関係を変え、両国とほかの西欧諸国との関係を変えた。
時代や歴史的背景は異なるが、フランスとドイツの相互理解を深めた要素は今日の日本と韓国にも通じるだろう。
今年6月初めの世論調査では日本人と韓国人の約半数が相手国に良くない印象を抱いているが、その傾向は変化してきており、今後も変わるだろう。両国とも、若者のほうが年長者より互いへの好感度が高い。観光や大衆文化が草の根レベルで影響を与えていると思われる。
金大中が未来志向の日韓関係を宣言したときのように、指導者の姿勢も変化を起こし得る。文大統領は今年8月15日に、日本の植民地支配からの解放を記念する式典で「日本が対話と協力の道に進むなら、われわれは喜んで手をつなぐ」と語った。日本政府もむき出しの敵意にばかり反応せず、こうした前向きの発言を積極的に受け止めることもできるだろう。
「帝国の慰安婦」としての記憶
変化の背景には地域的な文脈もあった。仏独は、欧州というコミュニティーに共に参加することに共通の利益を見いだした。現在、日本と韓国の国益も東アジアの域内関係に同じくらい密接に結び付いているのではないか。
ただし、過去の敵が未来の友になるというシナリオには、もう1つ課題がある。フランスとドイツは戦争の敵国同士だったため、仏独の記憶の政治は戦争が軸になっていた。それに対し、韓国は日本の植民地だったため、韓国は慰安婦や徴用工の問題を、戦争というより植民地時代の抑圧として考える。
日本では少なくとも90年代前半以降、戦争の記憶を積極的に呼び起こす動きが広まっているが、帝国主義時代の過去にはあまり向き合ってこなかった。日本人は南京虐殺や七三一部隊、従軍慰安婦を知ってはいるが、例えば慰安婦については帝国主義ではなく戦争の産物と見なす人が多いだろう。