住宅街でもデモ、白シャツ集団が警察と談笑、香港最後の正念場へ
Hong Kong’s Endgame
だが、その戦略は完全に裏目に出た。厳しい弾圧はデモ隊の意思をくじくことはなかったし、政府が逃亡犯条例改正案の棚上げで市民から得たわずかな信頼までもぶち壊してしまった。
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ベッドタウンにも広がる
デモ隊は逃亡犯条例改正案の反対運動を、香港の「エンドゲーム(終盤)」と位置付けてきた。2014年の雨傘運動の目的は普通選挙権の獲得だったが、今回の抗議行動には、もっと緊急かつ切実な必要性があった。改正案が可決されれば、中国政府に目を付けられた香港市民が、中国本土に事実上拉致される恐れがある。つまり改正案の可決は、自分たちの運命に直結する重大な問題だったのだ。
だが、そのデモに目立ったリーダーが存在しなかったことは、イデオロギー色の薄い自然発生的な抗議運動として、高齢者を含む幅広い支持者を集める助けになった(一般に高齢者は体制に味方することが多い)。
もちろんデモ参加者が顔を隠しているのは、当局の報復を恐れてのことだが、皮肉にもこの「顔の見えない」側面が、今回のデモが雨傘運動より幅広い支持を集める一因になった。
さらにこの運動は、地理的にも広く拡散し始めた。通常、香港の抗議行動の舞台になるのは、行政機関が集中する香港島の中心部だが、逃亡犯条例改正案に反対する運動は郊外にも広がり、運動全体の「寿命」を延ばす効果をもたらした。
沙田や元朗はベッドタウンとして開発された地区であり、中心部よりも自己充足的で、住民のコミュニティー意識が強い。このような基本的に政治と無縁だった地区でもデモが開かれるようになったことで、運動には新たな命が吹き込まれた。
一方、香港政府は、初期の対応を誤ったために、反対派と和解するチャンスを逃してしまった。今回の抗議行動もいずれは収束するだろうが、林鄭が香港統治に必要な求心力を取り戻すことはないだろう。
逃した和解のチャンス
もちろん今回の騒乱の背景には、香港が抱える構造的な問題がある。1997年にイギリスから中国に返還されて以来、中国は年々香港への直接介入を強めてきた。当初は一国二制度が約束されたが、香港市民の政治的自由は着実に奪い取られてきた。
この締め付けは雨傘運動後、一段と厳しくなった。運動の指導者たちは訴追され、立法会では民主派議員が議員資格を剝奪されたり、立候補そのものが認められないケースが相次いだ。このため市民は香港の行政と司法に対する信頼を完全に失ってしまった。今回200万人がデモに参加したとされるのは、政府に任せておいたら何が起きるか分からないという危機感が市民の間に募っていたためだ。