最新記事

シリア事情

イスラーム国の敗北と、トランプがゴラン高原「イスラエルに主権」に署名した関係

2019年3月26日(火)12時30分
青山弘之(東京外国語大学教授)

イスラーム国の敗北と同時期に、決断が下された理由

こうした情勢を踏まえて、ゴラン高原の処遇をめぐるトランプ大統領の決断の意味を考えると、そこには、シリアをめぐってイスラエルとの連携を強めることで、イランを牽制しようとする意図を読み取ることができよう。

事実、米国もイランへの警戒感を強めている。米国は、ダマスカスとイラクの首都バグダードを結ぶ国際幹線道路上に位置するタンフ国境通行所(イラク側はワリード)一帯地域(いわゆる55キロ地帯)に部隊を駐留させ、同地を事実上占領している。その理由は、レバノン首都のベイルートとイランの首都テヘランが陸路で結ばれ、イラン版「一帯一路」が開通するのを阻止するためだとも言われている。

だが、より注視すべきは、シリアでのイスラーム国の敗北と時を同じくして、決断が下された点である。

クルド民族主義勢力の人民防衛隊(YPG)を主体とするシリア民主軍は23日、イスラーム国最後の支配地だったバーグーズ村(ダイル・ザウル県)を完全制圧し、勝利宣言を行った。トランプ大統領も22日、「イスラーム国は100%敗北した」と表明した。

トランプ大統領は昨年12月19日、米軍をシリアから撤退させると発表した。この方針は、政権内や同盟諸国から強い反発を受けて、今年2月下旬に事実上撤回され、米軍駐留は当面続く見込みだ。

米政権の高官らは、イスラーム国に対する勝利宣言後も「根絶に向けてさらなる行動を続ける」と強調し、スリーパーセル摘発やテロ再発防止への意欲を示す一方、イランの脅威の排除、政治移行の実現といった大義を掲げ、介入継続の必要を力説する。だが、こうした回りくどいロジックは、単刀直入な思考様式を特徴とするトランプ大統領には馴染まず、彼が再び撤退と言い出さないとも限らない。

これに対して、ゴラン高原に対するイスラエルの主権承認は、エルサレムへの大使館移転と同じく、トランプ大統領の親イスラエル姿勢を率直に表していて、きわめて分かり易い。

むろん、トランプ大統領がイスラエルの主権を承認しようがしまいが、占領から52年、併合から38年が経ったゴラン高原の現状に変化は生じない。にもかかわらず、この分かり易い決断には、ツイッターでのつぶやきと同様の抜群の「炎上効果」がある。

その「炎上効果」とは、イスラエルによる占領という既成事実が浮き彫りになることで、それ以外の占領への批判が薄れることにある。

米国は、55キロ地帯に加えて、シリア民主軍が制圧したシリア北東部に幾つもの基地を建設し、2,000人規模の部隊を展開させている。シリア政府、ロシア、イランはこれを違法な占領と非難し、撤退を要求している。

これまで政権の高官らは、上述の回りくどいロジックをもって、こうした批判を交わそうとしてきた(そしてトランプ大統領に撤退を断念させようとしてきた)。だが、占領への批判の矛先がイスラエルに集中すれば、米軍駐留を正当化するための説得的な理由を示す手間も省ける。

シリアに介入し続けるための都合の良い論理のすり替え

同じことは、もう一つの占領国であるトルコについても言える。トルコは、2016年と2018年にシリア北部に侵攻し、「ユーフラテスの盾」地域、「オリーブの枝」地域と呼ばれる地域を実質占領する一方で、米国が支援するクルド民族主義勢力を排除するため、新たな侵攻作戦を行うとほのめかしてきた。

トルコは、ゴラン高原の処遇をめぐるトランプ大統領の決断にもっとも強く反発している国の一つだ。その理由は、一方でこの問題につけ込んで米国に圧力を加え、他方で拡大するかもしれない占領への批判をかわすためのスケープゴートを用意できれば、一石二鳥だからだ。

さらにシリア政府も受益者だ。シリア政府は、ゴラン高原からの即時完全撤退をイスラエルに求めてきた。だが、返還は現実的ではなく、問題そのものも風化して久しい。こうしたなか、シリア政府は、トランプ大統領から塩を送られたと感じたに違いない。

なぜなら、ゴラン高原の処遇が改めて争点化すれば、イスラエルに対峙する前線国家としての面目と統治の正統性を内外に誇示できるからだ。反体制派が奇妙とも言える沈黙を貫いているのも、シリア政府に好機を与えたくないからに他ならない。米国に翻弄されればされるほど、シリア政府の分が良くなる──こうした構図ができあがっているのだ。

トランプ大統領が、中長期的な視座に基づいて、ゴラン高原に対するイスラエルの主権を承認する決断をしたかどうかは確かではない。だが、米国の対中東政策、さらには安全保障政策に一貫性を与えている「ディープ・ステート」にとって、それは、ポスト・イスラーム国段階に入ったシリアに介入し続けるための都合の良い論理のすり替えを可能としている。そしてそれは、シリアをめぐって米国と対立する当事者にとっても同じことである。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、イランとの交渉「関心ない」 全指導者排

ワールド

アングル:ベトナム、新興国格上げ目前に海外資金流出

ワールド

アングル:メキシコ「麻薬王」拘束作戦の立役者、家族

ワールド

イラン戦争は2週目に、トランプ氏「無条件降伏」求め
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプのイラン攻撃
特集:トランプのイラン攻撃
2026年3月10日号(3/ 3発売)

核開発の断念を迫るトランプ政権が攻撃を開始。イランとアメリカの本格戦争は始まるのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【長期戦はイラン有利】米側の体制転覆シナリオに暗雲...専門家「イランの反撃はこれから」「報道と実態にズレ」
  • 2
    中国、4隻目の空母は原子力艦か──世界3番目の原子力空母保有国へ
  • 3
    日本の保護者は自分と同じ「大卒」の教員に敬意を示さない
  • 4
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 5
    【WBC】侍ジャパン、大谷翔平人気が引き起こした球場…
  • 6
    女性の顔にできた「ニキビ」が実は......医師が「皮…
  • 7
    大江千里が語るコロナ後のニューヨーク、生と死がリ…
  • 8
    ダイヤモンドのような「ふくらはぎ」を鍛える最短ル…
  • 9
    「みんな一斉に手を挙げて...」中国の航空会社のフラ…
  • 10
    「毎日が人生最後の日」だと思って酒を飲む...84歳医…
  • 1
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビザの壁、会社都合の解雇、帰国後も続く苦境
  • 2
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズった理由
  • 3
    BTS復活...でも、韓国エンタメが「苦境」に陥っている
  • 4
    イラン猛反撃、同士討ちまで起きる防空戦はいつまで…
  • 5
    「毎日が人生最後の日」だと思って酒を飲む...84歳医…
  • 6
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 7
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られ…
  • 8
    【長期戦はイラン有利】米側の体制転覆シナリオに暗…
  • 9
    少子化に悩む韓国で出生率回復...昨年過去最大の伸び…
  • 10
    「死体を運んでる...」Google Earthで表示される「不…
  • 1
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 2
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 3
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 4
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 5
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 6
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 7
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 8
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 9
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く…
  • 10
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中