パレスチナ人58人が死亡したガザでの衝突をハマースの責任に転嫁するアメリカ
単なる動員ではないことは、同じく運動が呼びかけられていた翌15日の様子からもうかがわれる。「ナクバ」70年の「帰還の行進」デモは、その最終日となる14、15日の両日に一斉抗議が呼びかけられていた。
だが実際に衝突が激化したのは14日のみであり、「ナクバ」70年の当日である15日の衝突は限られた規模にとどまった。地域的には前日よりも広く、ヨルダン川西岸地区やエルサレムでも展開されたが、多数の死傷者が出る事態とはならなかった。
複数のパレスチナ政治組織が含まれる「帰還の行進」委員会の中で、動員力をもっとも発揮したのは確かにハマースだが、その根底には抗議運動に集まる人々の怒りがあったといえるだろう。
アッバース大統領への支持率は低下
他方でパレスチナ自治政府のファタハは、昨年のトランプ大統領による大使館の移転決定以降ますます影響力を失っている。5月9日に行われた西岸地区のビルゼイト大学での学生選挙ではハマース系のイスラーム学生同盟が、ファタハ系のヤーセル・アラファト同盟を圧して勝利する結果となった。大学自治会は政治党派間の勢力関係を示す鏡であり、ファタハの衰退は顕著とみられる。
これまで中東和平交渉の相手方として立場を維持してきたアッバース大統領は、大使館の移転決定により、和平仲介者であったアメリカを批判せざるを得ない立場に追い込まれている。当のトランプ大統領は和平交渉への仲介の意欲を示すものの、批判には聞く耳を持たない。交渉の再開はきわめて困難な状態といえる。四面楚歌の状況の中、アッバース大統領への支持率は3割にまで低下している。
危険を承知で抵抗運動を行うパレスチナ人の覚悟
抗議運動に参加した人々がはじめからこれだけの死傷者が出ることを覚悟していたかは定かでない。だがガザ地区東部で多数の死傷者が出たことで、国際的な関心が集まったのは事実だ。もし死傷者が数名にとどまれば、国連安保理緊急会合は開かれず、トルコが大使を召還したり、ベルギーやアイルランドがイスラエル大使を呼んで抗議することにはならなかっただろう。
70年に及ぶ経験の中でそれを知悉しているため、パレスチナ人は危険を承知で抵抗運動を行う。独特のリズムで叫ばれる「魂と血をもって」というスローガンは、そんな彼らの覚悟を示しているといえるだろう。それだけの決意と覚悟をもって多くの人々が立ち上がるとき、相応に受け止めることは国際社会に課された義務といえるのではないか。