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【ブルキニ問題】「ライシテの国」フランスは特殊だと切り捨てられるか?

2016年9月14日(水)16時45分
井上武史(九州大学大学院法学研究院准教授) ※BLOGOSより転載

対カトリックから対イスラムへ

 ライシテ原則は、日本の政教分離原則と同様、もっぱら公権力やそれを行使する公務員に適用される原則であり、一般人には適用されない。また歴史的経緯に照らせば、ライシテ原則は本来カトリックを対象とする。

 しかし現在、ライシテ原則が問題となるのは多くの場合、約400万の信徒を抱え、カトリックに次ぐフランス第2の宗教となったイスラムとの関係である。しかも、社会の様々な場面で、イスラムの信教の自由を否定する文脈で持ち出される。

 2004年にイスラム・スカーフ禁止法が制定された。この法律は、公立学校内で宗教シンボルを誇示的に着用することの禁止を内容とする。1989年にムスリム女子生徒が公立中学校にイスラム・スカーフ(ヒジャブ)を着用して退学処分になった事件以来、学校でのスカーフ着用の是非は、政治や司法の場で長年にわたって議論されてきた。スカーフ禁止法はその議論に決着をつけるものであった。

 法律は表向き宗教一般を対象とするが、上記の経緯から事実上ムスリム女子生徒のスカーフを標的としているのは明らかだった。しかし、公務員でない生徒が学校という公的な場所で自らの信仰を表明することは、本来信教の自由で保障される。それはイスラムであっても例外ではない。スカーフ禁止法は禁止を「誇示的に」着用した場合に限定し、ライシテ原則と信教の自由のバランスを図っているが、一目でイスラムとわかるスカーフが適用対象となることに疑いはない。法律は、事実上イスラム信徒の自由の制限をライシテ原則の名で正当化するものであった。

 さらに、2010年のブルカ禁止法は、ほとんどイスラムを狙い撃ちにした法律である。法律では公共の場所で顔を隠す衣服の着用の禁止という中立的に表現されるが、その標的は明らかにムスリム女性の着用するブルカやニカブであった。政府は公共の安全への危険や身元確認の必要などを禁止の理由とするが、本音はイスラムが目に見える形で社会に表出することへの嫌悪である。この法律によって、ブルカを被るムスリム女性たちはフランスではもはや公道を歩く自由すら認められず、その社会生活には大きな支障が生じる。

適用範囲の拡大

 その後も、ライシテ原則は本来的な適用範囲を超えて議論される。民間保育所の女性職員が勤務中にスカーフを着用したことを理由に解雇された事件を契機にして、民間企業の従業員にもライシテ原則を適用すべきかが議論されてきた。その間、議員立法が試みられたこともあった。今年の労働法改正によって、民間企業は、従業員の宗教的信条の表明を制限するなどの中立性原則を内規で規定できるようになった。

 さらに、右派共和党の党首のサルコジ前大統領は、スカーフ禁止を民間企業や大学まで拡大すべきであること、そのためには法制化はもちろんであるが、必要であれば憲法改正も辞さない姿勢を示している。

 いまやライシテ原則は公権力を対象としたフランス国家の原則にとどまらず、民間も含めたフランス社会一般の原則へと変容しつつある。それに伴って、ライシテ原則の事実上の標的であるイスラム教徒の自由は縮減される、という関係が見出せる。ブルキニ問題は、これをビーチにまで及ぼそうとするものである。

 一連の経過で驚くべきことは、それらの法律が多数決で決められ、また、あまり深刻な憲法問題になっていないことである。特にスカーフ禁止法は、長年の懸案に終止符を打つ意味もあり、与野党の圧倒的な多数で成立した。また、個人の信教の自由の侵害の可能性があるにもかかわらず、憲法院の違憲審査にも付されなかった。日本とは異なり、公教育の場では特定の宗教的価値観に基づく個人の信条よりもライシテ原則が優先されるべきことについて、フランス社会には党派を超えた広いコンセンサスがある。

「共生」の条件としてのライシテ

 イスラムを狙い撃ちにするような法律が近年相次いで制定される背景には、フランス社会のイスラムに対する苛立ちがある。イスラムの一夫多妻制や女性差別の考え方は、フランスの価値観と真っ向から対立する。そこで2006年の移民法以降、移民のフランス社会への統合を確保するために、フランスへの長期滞在者に対しては一定のフランス語能力とともに、フランスの価値観の受け入れを要求している。その際、具体的に挙げられるのは男女平等原則とライシテ原則であり、そのための講習の受講が義務づけられる。これがイスラム系移民を標的としているのは明らかであろう。フランス社会の一員として生活するには、フランスの価値観の1つであるライシテ原則を理解し遵守することが求められる。

 また、上記ブルカ禁止法に関する行政通達では、「顔面を覆うことは、社会生活上の最低限度の要求に違反する」こと、法律が「フランス共和国の諸価値と共生(vivre ensemble)の諸条件を厳粛に再確認する国民代表の意思」を示すものとされていた。ライシテはいまや、フランス社会での「共生」の条件として位置づけられている。

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