【特別寄稿】TBSアナ久保田智子「私の広島、私達のヒロシマ」
広島とヒロシマの間で
アナウンサーになった私はますますヒロシマを語ることを期待され、演劇や映画をみたり、漫画や本を読んだりしてヒロシマを知ろうとしたこともあります。原爆被害に苦しむ激しい描写の物語を見るたびに、怖い、逃げたいという恐怖心を掻き立てられました。度々登場する大きなきのこ雲のイメージは原爆のアイコンとなり、まるでパブロフの犬のごとく、きのこ雲を見ると「被爆」「怖い」「ヒロシマ」といった言葉が想起されるようにもなりました。でもそこに、あの体育館で感じたようなヒロシマのリアリティーを感じません。むしろ、リアルそうな表現や言葉によってリアリティーはどんどん失われていくような気さえするのです。
一方で、シンプルで、時に支離滅裂な表現であっても、被爆者の実感のある言葉は、他者のどんなに意匠を凝らした表現をも凌駕するリアリティーがあります。被爆した人の多くは原爆投下の瞬間、何も見えなくなった、眩しくなったと話します。原爆のアイコンであるきのこ雲を見て、原爆を認識する私達は、被爆者との圧倒的な距離を自ら認めているのです。写真や映像で見るきのこ雲の姿は、被爆者の視線からは決して捉えられません。むしろアメリカの撮影したものによる、アメリカ側の視線に立った見方のような気すらするのです。私達は被爆者の伝える広島からこそ、私達のヒロシマを見つけないといけないのです。
リアリティーを語り継ぐ
広島では「被爆の実相に触れてほしい」という表現をよく耳にします。「実相」とは他の場ではあまり使われない言葉のように感じますが、原爆投下から10年後の1955年に『原爆の実相』(柴田重暉著、文化社)という本が出版されているなど、かなり前から広島では「実相」が使われてきました。「実相」を広辞苑で調べると「実際の有様。真実の姿」とあります。もともと仏教用語で「現象界の真実の姿」とあり、つまり感覚によって捉えられる世界の真実の姿です。被爆したときの感覚によって捉えられた世界は、私達も感覚で受け止め、そして、誰かのリアリティーではなく、自分のリアリティーにしていかなくてはいけないのだろうと思います。戦後70年を超えました。私達は原爆に実感を持っている人たちのリアリティーと真摯に向き合う最後のチャンスを迎えています。
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そんななか発表されたオバマ大統領の広島訪問。オバマ大統領と被爆者の面会が実現するかどうかについては否定的な報道が目立ちます。せっかくの機会を無駄にして欲しくないと切に願います。それはオバマ大統領が広島に来てくれることを心から喜んでいる被爆者が蚊帳の外にされることを避けたいという気持ちと同時に、被爆者と触れ合うことでこそオバマ大統領は世界にヒロシマを語りうると思うからです。