最新記事

イギリス

トランプも黙らせたイスラム教徒、ロンドン新市長の実力

こんなご時勢だが、ロンドン市民は人種も宗教も階級も憎悪も超えた選択をした

2016年5月11日(水)18時00分
パルビーン・アクタル(英ブラッドフォード大学社会学講師)

英雄 新市長に就任したカーン。昨日トランプの例外扱いをきっぱり断った Toby Melville-REUTERS

 ロンドンでは先週、英労働党のサディク・カーン(45)がイスラム教徒として初めてロンドンの市長に当選した。新市長が訪米したらどうするのか、イスラム教徒の入国禁止を公言している米大統領選の有力候補ドナルド・トランプにニューヨーク・タイムズ紙が聞いたところ、カーンは「例外」だと答えた。いったいどれほどの人物なのか。

 まず、イスラム教徒が市長になるのは、ロンドンに限らず欧米の首都として初めて。テロや難民危機で欧米に反イスラム感情が高まり、対立候補にもイスラム教徒であることを攻撃されながらの市長選は、国際的にも注目を集めていた。

【参考記事】「イスラム教徒の入国禁止」を提案、どこまでも調子に乗るトランプ
【参考記事】ロンドン市長選で「トランプ流」はなぜ、受けなかったのか

 カーンの父はパキスタンからの移民でバスの運転手。8人兄弟の5番目としてロンドンの低所得者向け公営住宅で暮らした。法律家を目指して大学へ進学し、下院議員に初当選するまでは人権派弁護士として働いた。その歩みはまさに移民のサクセスストーリーであり、「ブリティッシュドリーム」を体現している。

人種と宗教

 市長選の間には、身内の労働党内にすらイスラム教徒であること自体が不利だという見方が少なからずあった。

 英保守党の対立候補ザック・ゴールドスミスは、カーンがイスラム過激派を支持していると批判し、有権者の恐怖心をあおろうとした。だがゴールドスミスが展開したネガティブキャンペーンは、同じ保守党のアンドリュー・ボフをはじめ多方面から「分断をあおる」として強い批判を受ける。

 イスラム系のコメンテーターはかねてから、ロンドンでイスラム教徒の市長が誕生すれば、西欧は反イスラムではないこと、成功への扉はイスラム教徒にも開かれていることを証明し、結果的にイスラム過激派のイデオロギーを打ち負かすことにもつながると主張してきた。今回のカーンの勝利は、その主張を一歩前進させるものだ。

 カーン自身も2005年、イスラム過激派によるロンドン同時爆破テロを経験し、自分が初のイスラム教徒の市長になることには象徴的な価値があると語っていた。

力と特権

 カーンの勝利は人種や宗教面だけでなく、社会流動性の面からも見過ごせない。

 カーンの父親のように第2次大戦後大挙してイギリスに渡ったパキスタン移民の多くは貧しい農民や肉体労働者で、母国語の読み書きもできないケースがほとんどだった。

 イングランド各地の工場やサービス業で何とか働き口を見つけ、貧困から抜け出す者もなかにはいたが、イギリスのパキスタン系コミュニティーはいまだに失業率が高く、子どもの学業成績も最低のまま。その多くが、イギリスで最も貧しい地域に暮らしている。

 イギリスの政治はよく知られているとおり、名門校出身の上流階級による「同窓生ネットワーク」に牛耳られている。デービッド・キャメロン首相をはじめ、ジョージ・オズボーン財務相、任期満了で退任したロンドン前市長ボリス・ジョンソンもその典型。カーンの対立候補だった保守党のゴールドスミスも家柄や財産、政治的な人脈、メディアやビジネス上のつながりまで申し分のないエリートだった。

【参考記事】「大学前」で決まる超・学歴社会

 カーンの当選は、特権に対する実力主義の勝利と映る。政治の包容力が増し、以前より多様な民族的、宗教的、社会経済的バックグラウンドを反映できるようになったサインでもあろう。

 パキスタン移民2世がイギリスで政治的重要性の高いポストにつくのは、カーンが初めてではない。キャメロン内閣でイギリス初のイスラム系女性閣僚に抜擢されたバロネス・サイーダ・ワルシの父もパキスタン移民だ。2015年に実施された総選挙では、10人のパキスタン系イギリス人が国会議員への当選を果たした。

 そして今や、バスの運転手だったパキスタン移民の息子がロンドン市長の座を射止めた。西欧で最も影響力のあるイスラム教徒になったのだ。

The Conversation

Parveen Akhtar, Lecturer in Sociology, University of Bradford

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

MAGA派グリーン議員、トランプ氏発言で危険にさら

ビジネス

テスラ、米生産で中国製部品の排除をサプライヤーに要

ビジネス

米政権文書、アリババが中国軍に技術協力と指摘=FT

ビジネス

エヌビディア決算にハイテク株の手掛かり求める展開に
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生まれた「全く異なる」2つの投資機会とは?
  • 3
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃度を増やす「6つのルール」とは?
  • 4
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 5
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 6
    レアアースを武器にした中国...実は米国への依存度が…
  • 7
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 8
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国…
  • 9
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 9
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 10
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 8
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 9
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中