最新記事

ISIS

世界が悩む身代金の大ジレンマ

2015年2月6日(金)13時16分
ピーター・シンガー(米プリンストン大学 生命倫理学教授)

テロ組織を太らせるな

 身代金の支払いや、人質の家族への身代金援助を政府に促す圧力があることは、当然理解できる。ここに見えるのは、いわゆる「救済原則」だ。炭鉱事故に遭った労働者や負傷した登山者、あるいは超未熟児など、「顔」の見える人々に対して私たちは大きな代償を払っても助ける義務を感じる。

 逆に被害を受ける人々の顔が分からない状況では、たとえ人数が多くても、そうした義務感は強まらない。交通安全運動や病気の予防を目的とした教育などがその例だ。

 この原則は倫理ではなく、人間一般の心理に関するものとして理解すべきだ。人質本人はもちろん、家族や関係者の身になれば、テロ組織に捕らわれた人に「救済原則」を適用するのは正しいように思える。

 だがこの言い分が正しいように聞こえるのは、なぜこれだけ多くの人々がISISなどのテロ組織の人質となって殺されているかを、私たちが本当には分かっていないためだ。彼らが犠牲になったのは、過去6年間にテロ組織に支払われた推定1億2500万ドルの身代金が武器の購入に使われ、テロリストの武力が増したからだ。

 私たちはより多くの人命を守るために時間と労力を使うべきだ。身代金を支払えば、より多くの人命を失うことにつながる可能性が高い。危険な地域に駐在する欧米のジャーナリストには、思想的な理由による誘拐や殺害の危険が常に付きまとう。

 ISISと戦うアメリカ主導の多国間軍事作戦で司令官役を務めるジョン・アレン米退役大将によれば、テロ組織がアメリカ人を人質にしても身代金が取れないと知っているという理由で、どれだけの人が捕らわれずに済んでいるかは不明だ。だがISISなどの組織が「自分たちに得なことはないと分かっているからこそ、人質にされないアメリカ人がいることも忘れてはならない」と言う。

 身代金を払う国は数人の国民の命を救えるかもしれない。だが、それ以外の人々をより大きな危険にさらす危険性もある。

© Project Syndicate

[2015年2月 3日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中