最新記事

環境

ミツバチの不吉な「過労死」症候群

果物や野菜の受粉ができない── 働きバチが巣を放棄する謎の現象が、世界の自然と農業を脅かす

2009年5月13日(水)21時54分
ローワン・ジェイコブソン(作家)

自然の恵み ミツバチの受粉は、空気や光と同じ生産要因。「職場放棄」の原因は解明されていない。Ali Jarekji-Reuters

 果樹の受粉はミツバチがやってくれる。3000年前の昔から、中国・四川省の農民はそう信じてきた。甘いミツの香りに誘われて飛んできたハチの体に花粉がつき、ハチがミツを集めるにつれて受粉が進む。

 だが1980年代にナシの栽培面積を増やしてからは農薬の使用量も増えた。すると自然の受粉システムに異変が起きた。今でも、春には白いナシの花が雪のように咲き誇るが、花粉を運ぶミツバチはいない。代役を果たすのは農民たちだ。集めた花粉を瓶に入れ、ニワトリの羽根とタバコのフィルターで作ったブラシを使って根気よく雌しべに塗っていく。

 なぜ今の時代に、人がミツバチの代わりをしなければならないのか。人知れず、農家の強い味方だったミツバチが世界中で減っているからだ。原因不明の蜂群崩壊症候群(CCD)で、アメリカではこの冬、養蜂家の管理するハチの巣の35%が失われた。

 カナダやブラジル、ヨーロッパでも同様な事態が起きている。ベルギーとフランスでは野生種のミツバチが過去30年で25%も減ったという報告がある。

 英国養蜂家協会によれば、イギリスでも2018年までにミツバチが全滅するおそれがある。そうなればリンゴからアブラナまで、市場価格にして1億6500万ポンド相当の農産物が失われかねない。

 大変な脅威である。世界の主要農産物115品目のうち、87品目までは果実や種子の収穫を自然な受粉に依存している、とゲッティンゲン大学(ドイツ)の農業生態学者アレクサンドラ・マリア・クラインは言う。

 世界の農業生産物の年間総売り上げは3兆ドル弱とされるが、受粉の必要な作物はざっと1兆ドル。私たちの年間消費カロリーの35%にあたり、ビタミンやミネラル、抗酸化物質のほとんどが含まれる。

 ブルーベリーやサクランボ、リンゴやグレープフルーツ、アボカド、キュウリ、マカデミアナッツやアーモンドの生産にハチの助けは不可欠だ。レタスやブロッコリーのような野菜も、ハチが花粉を運ばなければ翌年の作付け用の種子を確保できない。

 CCDは、巣から「働きに」出たハチの成虫が戻ってこない現象だ。「まったく空っぽの巣も見た」と、スウェーデンの養蜂家ボルイェ・スベンスソンは言う。「なんら抵抗した形跡もなく、彼らは巣を放棄している」

農業大型化で需要爆発

 CCDの原因は不明だが、さまざまな説がある。アメリカの研究者は「イスラエル急性麻痺ウイルス」と呼ばれる未知の微生物の関与を疑っているが、スペインの研究者は真菌の一種が引き起こす感染症と考えている。

 フランスにいるミツバチの3分の1が死んでしまった90年代、養蜂家たちはヒマワリ(ミツバチの大好物だ)畑で新たに使われるようになった農薬イミダクロプリドのせいだと考えた。そこで同国は99年にイミダクロプリドのヒマワリへの使用を禁止、04年には他の作物への使用も禁止した。だがミツバチの数は回復していない。

 イミダクロプリドは世界中で年間約8億6000万ドルも売れている農薬のベストセラーで、今のところミツバチの減少との因果関係を裏づける証拠はない。一方には携帯電話の電波や遺伝子組み換え作物の影響を指摘する声もある。

 有力なのは、ミツバチの働きすぎと栄養不良によるストレスに干ばつやウイルス、農薬、ダニなどの寄生虫による被害が組み合わさった結果とする説だ。

 なぜミツバチに「過労死」が起きるのか。農業が大型化したからだ。農場が小規模で家族経営だった時代は、周りの森から飛んでくるミツバチだけで十分に受粉できた。だが大規模農場になると、野生のハチの行動半径ではカバーしきれない。だから農家は、やむなく大量のハチを人工的に導入し、せっせと受粉させる。

 そんな過酷な労働に耐えられるのは、ヨーロッパで飼育されているミツバチだけだ。もともと木のうろに密生して暮らしているから人工の木箱にもすぐなじみ、巣箱に5万匹のハチを詰め込んで畑から畑へと簡単に運べる。

 もちろん地域によっては野生のミツバチもいて、カカオの受粉などに活躍している。しかし、野生種は生息圏の縮小と農薬使用量の増加で減り続けている。その結果、働かせやすいヨーロッパ・ミツバチ(数あるミツバチの種類の一つ)ばかりが重宝される。現に、養蜂家の多くはハチミツの販売より受粉料で稼いでいる。

 ミツバチの不足は米カリフォルニア州のアーモンド農家にとっても深刻な問題だ。利益率の高いアーモンドの作付面積は05年に22万ヘクタールだったが、07年には25万ヘクタール、10年には32万ヘクタールに達すると見込まれている。

 大規模農場では1ヘクタール当たり巣箱4個以上が必要とされるから、アーモンドの持続可能な生産にはざっと200万個の巣箱が必要だろう。この数字、今のアメリカに生息するミツバチの総数に匹敵する(60年前にはこの3倍いた)。

人件費を上回る受粉料

 ミツバチの受粉料は、アーモンド栽培農家の利益を圧迫している。アーモンド農家のために適切なミツバチの巣箱のリースを仲介する受粉ブローカーのジョー・トレイナーによれば、受粉の費用はこのところ急騰している。「50年ほど前にこの仕事を始めたとき、ミツバチの貸出価格は巣箱1箱3ドルだった。04年には60ドルになり、今年は160~180ドルまで上がった」と彼は言う。

 天井知らずの価格高騰で、カリフォルニア州のアーモンド農家の受粉料負担は総コストの20%にまで上昇した。肥料や水、人件費よりも高い。そして出荷価格は、08年に初めて栽培者の生産コストを下回った。「農家は板挟みになっている」と、トレイナーは言う。「アーモンド栽培は割の合わない仕事になりかけている」

 今の時代、農産物の価格は国際的な市場で決まる。農民が生産コストの増加を価格に転嫁するのは容易でない。今よりも利幅が小さくなれば廃業するか、もっと利益の上がる作物を栽培するしかなくなる。アーモンドだけではない。ミツバチに依存する作物の栽培農家は、遅かれ早かれ苦渋の決断を迫られるかもしれない。

 果たしてミツバチ(による受粉)の減少で農作物の収量は減っているのか。フランス国立農業調査研究所のベルナール・バイシエールによると、確かなデータはない。比較しようにも、過去のデータが存在しないからだ。

「ごく最近まで、ヨーロッパでは生産要因としての昆虫受粉は完全に見落とされていた」と、彼は言う。「空気や光の存在と同じで、昆虫による受粉も当然のことと思われていた。だから収穫が減っても、その原因が受粉の問題にあるとは誰も思わなかった。しかし、受粉料がフランス各地で確実に上昇しているのは確かだ」

 農家はやりくりして、なんとか高い受粉料を支払っている状態だ。近年、昆虫受粉に依存する農産物の価格は上昇している。

 各国政府の対応は遅い。アメリカの場合、07年6月に下院が北米における受粉媒介昆虫の状態について緊急公聴会を開き、農業法の包括的改正案にミツバチ研究の予算500万ドルを盛り込んだ。しかし、この資金はわずか1年で打ち切られた。代わりに今年6月、米農務省は大学での研究に400万ドルの資金拠出を決めた。

足りない政府の危機意識

 イギリスではどうか。養蜂家協会のティム・ラベット会長は4月に、イギリス政府に800万ポンドの緊急資金を要請した。まだ欧州本土のCCDはイギリスに飛び火していないが、政府は万一のときにそなえておく必要があるとして、ラベットはこう問いかけた。

「政府はイギリス人がトーストにハチミツをつけられなくなったり、自家製のイチゴにクリームをつけて食べられなくなってもかまわないのか。新鮮な野菜と果物をもっと食べようという運動も、このままでは台なしだ」 

 対して環境・食糧・農村地域省のジェフ・ルッカー閣外相は、今の政府にそんな余裕はないと応じたという。しかし、将来にわたって世界に果物と野菜を供給する重荷を、養蜂家たちに背負わせていいのだろうか。

「このうえ新たな害虫やウイルスが発生したら、もう限界だ」と米ハチミツ生産者協会のマーク・ブレディーは言う。「今の養蜂業界はガラスと同じ。落とせば割れる。ちょっと手を滑らせたら、粉々になってしまう」

[2008年7月 2日号掲載]

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

トランプ氏とゼレンスキー氏が「非常に生産的な」協議

ワールド

ローマ教皇の葬儀、20万人が最後の別れ トランプ氏

ビジネス

豊田織機が非上場化を検討、トヨタやグループ企業が出

ビジネス

日産、武漢工場の生産25年度中にも終了 中国事業の
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 7
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中