しかし、だからといって「牧=悪妻」と決めつけられない些細な理由が私のなかにはある。
1972年の夏、ちょうどいまくらいの時期に我が家を訪れる客があった。母が玄関を開けると、そこに立っていたのは大きなシャクヤクの花束を抱えた牧羊子だった。
小学4年生だった私は、その年の春に交通事故に遭って「3週間意識不明」というどん詰まりの状態からマンガのように回復し、数ヶ月ぶりに退院したばかりだった。亡父は開高とも交流を持つ編集者だったので、牧は快気祝いに訪れてくれたのだった。
もちろん、子どもだった私にとっては「ただの知らないおばさん」だったから、曖昧な笑みを浮かべていることしかできなかったが、笑顔で「よろしゅおましたな」と声をかけていただいたことはおぼえている。そんな経験があるからこそ、本書に描かれた「知らないおばさん」の悪妻ぶりは私を混乱させもしたのだ。どこか意外で、どこか納得できるような気もして......。
しかも本書を読むと、この「72年の夏」が、開高と牧との関係を考えるうえで無視できない時期だったことがわかる。
結局、開高は「新潮社クラブ」に出たり入ったりを何度か繰り返し、ようやく『夏の闇』を書き上げた。昭和四十六年(一九七一)十月、『新潮』に発表され、翌年三月に単行本として発刊される。(中略)開高文学の中の最高峰との呼び声が高い。そして『輝ける闇』以上に内面に寄りかかって書いた作品だった。(317ページより)
「内面に寄りかかって書いた」部分のひとつが、そこに描写された"実在の女"との関係だ。それを知った牧が激昂したことは、本書にもはっきりと記されている。しかし、牧が我が家を訪れたのは、まさにその渦中にあった時期だということになるのだ。この出来事には、トラブルの渦中にいながらも周囲に対する気遣いを忘れなかった牧の一面が表れているとはいえないだろうか?
個人的にそんな体験をしていることもあり、「『悪妻だった』と片づけてしまえるほど簡単な問題でもなかったのではないだろうか?」という思いもまた否めないのである。