美学者が東工大生に「偶然の価値」を伝える理由──伊藤亜紗の「いわく言い難いもの」を言葉にしていくプロセスとは
伊藤:いま学生たちは、新型コロナウイルスの影響で、自分に原因がないのに大きな不利益を被る体験をしています。この体験が、学生たちに計り知れない影響を与えていると思ったできごとがありました。
水俣病の当事者に自身の経験や痛みを語ってもらう必修の授業があります。これまでは学生の反応がかんばしくなかったんです。枠組みと論理、データが好きな学生にとって、個人の感情や思いという、一番苦手なナラティブな語りを聞かされるので。でも、大事だから続けてきました。
それが今年は、とても評判が良かったそうです。学生たちは今、感染症の流行という、どうにもならないもののせいで大きな不利益を被っています。その点公害の被害者と似た経験をしていることで、なにか変化が起こっているようで、すごくいいと思っています。
前に、「6+8が14であることが納得できません」と言ってきた学生がいました。「6も8も、0~9の中では大きい数字なのに、それを足すと『14』という、10~20の中では小さい数になってしまうことが、どうも納得いきません」と。とても不思議な感性だと思いませんか。
こんなこと、たぶん数学の先生には言えないと思うんですよね。でも、わたしならこういう話を聞いてくれるかも、と思ってくれたんでしょう。
理系学生として求められているふるまい方とは別の面もどんどん出していいのだ、という雰囲気を作って、学生のヘンなところを引き出すのも、わたしの大事な役割かな、と。
──新型コロナは人と人とのコミュニケーションのあり方を変えつつあります。身体をとりまく状況にも影響がありそうですか。
伊藤:以前なら、オンラインの会議は実際にお会いするよりも「ちょっとよくないから、あまりしないようにしましょう」という感じが強かったと思います。
でも、数ヶ月で一気に価値観が変わって、リモートの状態も「けっこう快適」と受け止められるようになってきた。そうなったときに、身体の研究をしているわたしは「身体ってなんだっけ?」と、もう1回考え直さなきゃ、と思っています。
固定されたものが壊されていくきっかけは、いっぱいあるんです。
最近は、バーチャルな身体を持っている人に、いろいろ話を聞いています。例えば、自分の体を自由に動かせないけれど、分身ロボットを操縦して仕事をしている人もいるんですよね。そういう人がどういう身体感覚なのか、ということに関心があります。
自分が出あっている問いの答えを、障害がある人と一緒に考えたい、という思いが、相手への興味につながっているのかもしれません。
(取材・文:錦光山雅子 写真:西田香織 編集:山村哲史)
伊藤亜紗(いとう・あさ)
東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。同リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代美術。2010年東京大学大学院博士課程を単位取得退学。同年、博士号を取得(文学)。著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)など。オフィシャルHP
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