EUに忍び寄る旧ユーゴ型分裂の危機
経済の効率性が高い北部の国々と停滞する南部の国々を分けて考える「2つのスピードをもつ欧州」という概念も、目新しいものではない。ユーゴスラビアでも、経済水準が大きく異なる6つの共和国を満足させる政策を決める作業は困難を極めたが、「不均整な連邦」という言葉で正当化されていた。
比較的豊かだったスロベニアとその他の共和国を隔てていた「経済不均衡」が理由の1つとなって、スロベニアは91年6月に連邦からの独立を宣言した。現在のヨーロッパにユーロ脱退に関する法的枠組みが存在しないのと同じように、ユーゴスラビア連邦からの脱退に関する枠組みがなかったため、憲法学者らはスロベニアの脱退の合法性に疑問を呈した。
メンシンガーによれば、04年にEU、そして07年にユーロに加盟したスロベニアは「国というよりむしろEU圏内のある地方のようなもの」。スロベニアは貨幣供給量や税、国境管理、様々な場での「ルール」を決める権限など、多くをEUに託してきた。
とはいえ、メンシンガーはスロベニアがEUやユーロ圏に加盟することに賛成してきたし、今も当時の決定を覆したいとは思わない。もし覆せば、「その犠牲は大きく、不安が広がることになるから」だ。
ユーロがうまくいくのは経済がいい間だけ
それでもメンシンガーには懸念がある。1つは、ユーロは各国の経済が不安定な時期にはうまく機能しないのではないかということ。もう1つは、借金まみれのギリシャ経済を救済しようというEUの試みだ。
彼のみるところ、EUによるギリシャ救済策はフランスとドイツの銀行を潤わせる一方で、ギリシャの状況を悪化させるだけ。「計算すれば簡単だ。負債がGDPの160%で金利が成長率よりも高ければ、負債はさらに膨らむばかりだ」
EUの経済危機がどういう結末を迎えるのか、今はまだ見えてこないが、メンシンガーはEU自体が店じまいをするとは考えていない。
「現在のEUは83年のユーゴスラビアと同じだ」と彼は言う。「83年当時、ユーゴスラビアの政治家たちはどうやって経済システムと国家全体を救えばいいのか、必死になって考えていた」。
メンシンガーは、EUの政治家たちはユーゴスラビアよりもうまく不安定な時期を耐え抜く方法を見出してくれることを期待している。それrでも、長期的にこれだけは確信している。「EUがオーストリアのハプスブルク家ほど長く続くことは絶対にない」