トゥイッターのアホさは最強だ
テレビの上をいく「くだらなさ」が業界最大の勝者になる日
コメディアンのデーン・クックは、ミニブログ・サービスのトゥイッターにひっきりなしに「つぶやき」を投稿することにより、着々と知名度がアップし、ファンを増やしていると思っているようだ。
トゥイッターでクックの「つぶやき」を読むために登録しているユーザーは、こんなメッセージを絶え間なく読まされる。
「未来はこっちに向かって思いっ切り開いている。男好きの女の下半身と同じだ」
「今日、聖書の中をくりぬいた。その後で、中にもっと小さな聖書をしまった」
いやはや。これでは、1日に何度も自分の才能の乏しさを宣伝しているに等しい。けれど、そのトホホぶりを観察することには、意地の悪い楽しさがある。悪趣味なのは承知の上だが、面白過ぎてやめられない。
私は気付いた。ひょっとすると、インターネットが生み出した数々のばかげたもののなかで、最も成功を収めるのはトゥイッターかもしれない、と。
トゥイッターの強みはその「くだらなさ」にある。トゥイッターは、単なる目立ちたがり屋やなんちゃってセレブ、へっぽこ広報マンの遊び場に成り果てている。最近のある調査によれば、書き込みの4割は「無意味なおしゃべり」にすぎないという。
その点ではテレビも大差ない。テレビをつければ、太り過ぎの人が見るに堪えないダンスを披露し、才能のない人が下手くそな歌をがなり立てている。要するに、くだらないものは「売れる」のだ。
何百万チャンネルに匹敵する娯楽
トゥイッターのお見事な点は、くだらなさでテレビの上をいっていることだ。まともな知性の持ち主であれば、俳優のアシュトン・カッチャーや歌手のアシュリー・シンプソンの頭の中になどまったく興味がないだろう。ところが、トゥイッターでカッチャーの書き込みを読むために登録しているユーザーの数は350万人。シンプソンの登録読者も何と150万人を数える。これは、大半のテレビ番組の視聴者数を上回る数字だ。
トゥイッターが社会的に意義のある役割を果たしたケースがあることは認める。09年1月、ニューヨークのハドソン川に旅客機が不時着水したとき、直後の写真を撮影・公開したのは、トゥイッターのユーザーだった。6月のイラン大統領選をめぐる市民の抗議活動とそれに対する当局の武力制圧の様子を世界に伝え続けたのも、トゥイッターだった。
だが、トゥイッターが有意義だとか革命的だとかというウェブ専門家のもっともらしい発言は忘れたほうがいい。ユーザーの大半は単なる娯楽しか求めていない。
トゥイッターは、何百万ものチャンネルがある巨大なテレビのようなもの。いや、誰かがつくった情報を受け取るだけでなく、みんなが情報の送り手になれるという意味で、テレビより優れた娯楽と言ってもいいだろう。
人気に火が付いたのは、09年に入ってから。きっかけは、テレビ司会者のオプラ・ウィンフリーが使い始めたことだった。調査会社のニールセンによると、8月のユニークビジター数(ウェブサイトの訪問者を1人1回に限ってカウントした数字)は2500万人。1年前は200万人にすぎなかった。