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2009年最もお騒がせだったのは?
2009年最もお騒がせだったのは?
オバマ大統領が就任
アメリカ史上初の黒人大統領が世界中の期待を背負って1月20日に就任した
ビジョンの欠けたオバマの就任演説
経済危機の最中という非常事態であっても、政府の役割についての哲学は不可欠。オバマの演説に感じた「物足りなさ」は何だったのか
いまアメリカ合衆国大統領となった自分が描く理想の政府像とは何か。就任演説は、それを雄弁に語る絶好の機会だ。
1965年のリンドン・ジョンソンは、連邦政府の役割を広げようと呼びかけた。そうして経済的・人種的な不公正に立ち向かおう、「この偉大な富をもつ国に、絶望的貧困に生きる家族がいてはならない」から、と。81年、ロナルド・レーガンはこのジョンソン流の「偉大な社会」に異を唱える。「政府の肥大化をチェックし、逆転させる」と宣言した。
あいにくレーガン時代にも政府は小さくならなかったが、チェック機能は働いた。以後の歴代大統領も、政府を大きくしないという同じ路線を踏襲してきた。
89年のジョージ・H・W・ブッシュは富める者の自発的な「寛容」に期待し、93年のビル・クリントンは政府と国民の「新たな社会契約」を提唱し、国民の自己責任を強調した。01年のジョージ・W・ブッシュは、基本的に父の路線を引き継いだだけだ。
09年のバラク・オバマはどうだったか。「問題は政府の大小ではない、有効に機能しているかどうかだ」とオバマは言った。「国民が職に就き、適切な医療を受け、老後を安心して暮らせるよう、きちんと手助けしているかどうか。答えがイエスなら(その政策は)続ける。ノーならやめる」
主義主張にとらわれないオバマらしいアプローチといえる。私たちの耳にも、冷静で分別をわきまえた発言と聞こえた。
どんどん強大になる政府
とはいえ、就任式の陶酔感も薄れた今、あらためて演説を読み直してみると、一国を統治する哲学としてはいかにももの足りない。「なんであれ機能していればOK」というだけでは、政府の役割に関するビジョンと呼べない。
こうした実効性重視のリベラリズムでは、行動と意図、手段と目的が取り違えられかねない。この演説だけでは、最低限の年金支給や国民皆保険の実現、収入格差の是正が政府の責務なのかどうかもはっきりしない。
オバマはまず、自分の政府が何をめざすのかを明確に示す必要がある。どんな政策が有効で、予算がどれだけ確保できるのかは、その先の問題だ。
連邦政府の役割とは何か。今はそれを明確にすることが求められている。拡大する経済危機に対処するため、連邦政府はどんどん強大になりつつある。公共事業による雇用創出や銀行の国有化などに踏み切れば、政府の役割は大恐慌以来の大きな、そして金のかかるものになっていく。
今は非常事態だからやむをえないのかもしれない。だが、このままだと政府と市場の関係が根本的に定義し直され、その影響は危機が終息した後まで続くと懸念する声もある。
大統領としては、何が一時的な対策で何が恒久的な対策かを見極める必要がある。フランクリン・ルーズベルトのニューディール政策で設置された「農務省農村電化部」は、大半の家庭に電気が通じた今も名称を変えて残っている。開発の遅れた地域を近代化すべく33年に創設された「テネシー川流域開発公社」もまだ残っている。政府を拡大するのは簡単でも、縮小するのは不可能に近い。
リンカーンの言葉を読め
連邦政府は何をすべきで、何をすべきでないのか。この点について、オバマの考えはまだみえてこない。積極的に動くべきか、役割を限定すべきか。この両極の間でオバマは揺れ動いている。