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世界最大の民主主義国家
インドが抱える10億人の真実
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イスラムとヒンドゥー2つの世界の狭間で
インド社会の課題は少数派に成長の恩恵を行き渡らせることだ
11月26日の夜、ムンバイで同時多発テロが勃発する少し前、私の親友でテキスタイルデザイナーのクルスナ・メータは市内の有名百貨店で新ラインの発表会を行った。
メータが手がけた美しいクッションや食器類は、ムンバイならではの魔法のような魅力でいっぱいだった。「多くの人がやって来て、次々に買ってくれた」と、彼は語った。「(発表会の終了後)食事をしようとタージマハル・ホテルへ向かったが、途中で気が変わったんだ」
メータは地元のクラブへ行くことにした。「そのとき、最初の爆破音が聞こえた。何が起きたのかわからなかった」
皮肉な話だ。人々がムンバイの精神と新生インドをたたえようとメータの発表会に集ったのは、ほんの1時間前。そのさなかにも、ムンバイとインドを引き裂く計画が着々と進行していた。
インドの急激な経済成長や消費欲旺盛な中流階級の登場は近年、世界のメディアをにぎわせてきた。だが今回のテロは成長の維持が簡単ではないことを明らかにした。成長の継続にはあらゆる国民、とりわけ少数派のイスラム教徒に恩恵を行き渡らせることが不可欠だ。
めざましく台頭する世界最大の民主主義国で、約1億5000万人のイスラム教徒が暮らすインドは、欧米化社会とイスラムという二つの世界をかかえ込んでいる。
こうしたインドが、異なる価値観の橋渡し役を担えるなら理想的だ。だが現実には、少数派として軽視されるイスラム教徒が成長から取り残され、過激化の度合いを強めている。イスラム教国である隣国パキスタンとの緊張した関係も、持続可能な成長の障害だ。
分裂こそが犯人のねらい
インドの未来は、社会階層や宗教の違いに伴う格差を縮め、パキスタンと恒久的な和平を築けるかにかかっている。失敗すれば、ダメージは全世界に及び、インドは現在にもましてテロの標的となるだろう。治安強化の取り組みは欠かせないが、イスラム教徒に効果が及ぶ投資にも力を入れるべきだ。
9・11テロと同様、今回のテロには発生直後から陰謀説がつきまとっている。事件の前週、ムンバイのコラバ地区(9月にパキスタンの首都イスラマバードで起きたホテル爆破テロ事件以来、厳重な警戒態勢が敷かれていた)の警備がなぜか解かれたとの話を、私は複数の友人から聞いた。来春に予定される総選挙を有利に運ぼうともくろむ政治家や、汚職がはびこる警察の関与もささやかれている。
ある友人は、犯人たちは嘘をついていると言った。インド南部ハイデラバードの出身だと自称しているが、そのアクセントは明らかに、パキスタンのパンジャブ州出身者のものだという。
当局は今後、事件の全容解明を掲げて捜査に乗り出すだろう。いずれにしても、事件に関するこの手の憶測は、イスラム教徒とヒンドゥー教徒が隣り合わせで暮らすインドにとって命取りになりかねない。それこそが犯人たちのねらいのはずだ。彼らはイスラム教徒とヒンドゥー教徒の不和をかき立て、インドとパキスタンの関係改善の動きを危険にさらそうとしている。
今回の悲劇は、貧困や教育機会の欠如、法律上の不平等といったテロの遠因の解決を訴える警鐘になった。犯人がインド人だろうが、パキスタンや中東から来た者だろうが、彼らの動機は疎外された生活に根ざしている。
ムンバイ人の魂は死なない
インドの将来は事件にどう対処するかで決まる。「私たちvs彼ら」という構図を描き、国内のイスラム教徒またはパキスタンが「彼ら」であると主張すれば、いずれ手痛いしっぺ返しを食らうだろう。
国際社会による責任の共有を訴えるバラク・オバマの米大統領就任が迫り、金融危機で各国の相互依存が明らかになった今、変革は可能だという希望を世界は手にしている。今こそ変革のために動かなければ、ムンバイの事件は暴力の連鎖が生んだ新たな事例の一つにすぎなくなる。
マンハッタンの住民もムンバイの市民も、進歩を生み出す人間の可能性を信じている。だが進歩とは限られた人ではなく、多くの人のためのものであるべきことは忘れられがちだ。
あの夜、私の親友は無事に家へ帰った。眠りに就いた彼は、生き生きとしたムンバイの夢を見たかもしれない。混沌と喜びこそがこの町の精神。めげないムンバイ魂が、経済的にも宗教的にも遠くかけ離れた国民を一つにしてくれると信じている。
[2008年12月10日号掲載]