最新記事
巨象インドの素顔
世界最大の民主主義国家
インドが抱える10億人の真実
ニューストピックス
貧困層が引っ張るインド経済
世界的な経済危機とは無縁の中流予備軍が驚きの成長力を牽引する
「後進国」の強み 経済の柱の1つの農業は今年も堅調で、農村の消費需要も拡大しそう Ajay Verma-Reuters
世界経済の09年の見通しがほぼ真っ暗ななか、数少ない希望の光がインドだ。インド経済の今年の成長率は5~6%で、90年代の年平均成長率を上回りそうだ。
確かに株価は暴落して失業者は急増、住宅価格も一部ではアメリカのマイアミビーチ並みに下落している。1月7日には、IT大手サティヤム・コンピュータ・サービスが利益の水増しを行っていたことまで明らかになった。
それでも、国全体が脱線するほどではない。インドが誇る意外な牽引役、貧困層のおかげだ。近年の所得増加の結果、生活必需品や基本的サービスに対する巨大な需要を生み出している。
彼らは、最低生活水準よりは上の暮らしをしているが、現代の消費社会の仲間入りをするほど豊かではない中流予備軍。その台頭自体は新しい話ではないが、今回の危機では、彼らの驚くべき成長力が明らかになった。世界的な信用崩壊や輸出の落ち込みによる衝撃も、かなりの程度帳消しにしてしまったほどだ。
インド経済の傷が浅かったのは、政府の過去の失敗のおかげでもある。外需が減速してもさほど困らないのは、中国のように輸出大国として成功できていなかったことの裏返しだ。だがインドの政策当局にも功績はあった。世界的な信用バブルの拡大過程でも国が借金漬けになるのを食い止めたし、経済への波及効果が大きい道路や通信網への投資も進めた。
インドでも中間層は壊滅
「インドの内需の基本は、働けば所得を得られる個人の消費だ」と、インドの格付け会社ICRAのチーフエコノミスト、ソーミトラ・チョードリーは言う。「個人の所得は、国際環境の変化にそれほど影響を受けていない」
インドの後進性が幸いしたというのはばかげて聞こえるかもしれない。だが、貧しいところからの成長は豊かなところからの成長よりやさしく、インドがまだ先進経済でないことは、世界経済が減速するなかではむしろ有利。生活水準が低い人口が多くいて、彼らを生活水準の向上へ向けて動員できれば、大いに成長を加速できる。
インド経済は、逆風が吹きまくる世界経済のなかで強い回復力を見せてきた。「これは自律回復的なプロセスだ」と、インドの格付け会社クリシルのチーフエコノミスト、スビル・ゴカーンは言う。「大半の商品やサービスはまだ普及しておらず、一方には、その成長を支えられるだけの所得増加を享受している貧困層がいる」
インドでも中間所得層の消費は減速した。08年後半以降の自動車や航空券、外食などの販売不振が象徴的だ。それでも内需は、中流予備軍のおかげで堅調だ。彼らの多くは農村に住み、買うのはせっけんや薬、仕事のための服や靴などの必需品。「経済学の教科書に、所得が低いほど消費性向が高いと書いてある」と、ゴカーンは言う。
中国とは実に対照的だ。中国経済は半分以上が外需だが、インド経済は4分の3が内需。「だからこそ、インドは世界貿易の縮小から影響を受けにくい」と、インド政府の経済顧問を務めたサンカール・アチャリャは言う。経済のもう一つの柱である農業も堅調が続きそうだ。今やGDP(国内総生産)の55%を占めるサービス産業も、製造業よりは「立ち直りが早い」と、アチャリャは言う。
インドの全国ソフトウエア・サービス業協会(NASCOM)によれば、08年のIT産業の成長率は約20%に達した。09年も新たに10万人を雇用する計画だ。「中国が輸出市場を開拓している間に、インド企業は国内市場に力を入れた」と、ICRAのチョードリーは言う。その結果、インドは中国ほど輸出に左右されず自国経済を自分でコントロールできる立場にある。
一般的な理解によれば、インドはインフラの欠如と硬直的な労働法制のせいで中国のような輸出主導経済になり損ねた国だ。そういう側面も確かにあるが、インドは今、80年代の中国並みの規模でインフラ整備を進めている。
03年に作った全国の幹線道路網拡充計画では、毎日100キロの新しい道路を建設している。新たな道路ができるたび、さらに多くの村人が農作物を売ったり仕事を探したりする市場としての都市への移動手段を得る。00年にGDPの5%規模の予算を割いた地方道路開発計画は、最終的には人口500人以上のインドの村すべてを結びつけるのが目標だ。
通信インフラの整備はさらに早かった。携帯電話と固定電話の加入者は08年、合わせて3億5000万人を超え、成長率では中国さえ上回った。料金も1通話当たり50謐まで下がった。
危機の影響少ない底辺層
IT業界は過去10年 ヤで180万人の直接雇用を生んだが、それを支援する運送や警備、雑用などの雇用は650万人増えた。高卒以下のレベルの仕事だ。おかげで、そこでの給料は「お金をためるより消費しそうな」人々の手に渡ったと、クリシルのゴカーンは言う。IT産業の冷え込みで大きな雇用創出はしばらく期待できないにしても、今いる労働者だけでも経済を引っ張る十分な力がある。
底辺層が牽引するインド型成長では、景気拡大に限度があるのも事実だろう。だが彼らは、所得の高い層で顕著な消費低迷とはほぼ無縁の消費者だ。株価下落も、株をもっていないので関係ない。自動車の販売不振にも責任はない。もともと車が買えるほど豊かではないからだ。まして住宅バブルの崩壊など遠い話。
ムンバイやニューデリーのような都市では高級コンドミニアムが大量に余っているが、インド全体は深刻な住宅不足に悩んでいる。建設会社が高級物件ばかりを造るので、標準的な価格帯の物件は2470万戸も不足しているのだ。ニューデリーの開発当局が昨年、低価格のアパート5000戸の買い手を抽選にしたところ、約50万件の申し込みが殺到した。
こうしたミスマッチは、裏を返せば需要喚起の余地が大きいことを意味する。インド政府は最近、内需拡大が焦点の大型景気刺激策を打ち出した。ただしアメリカや中国のように都市部の中間所得層をターゲットにするのではなく、貧困層が対象だ。
08年10月、国会はGDPの4・5%に相当する約500ドルの追加的財政支出を承認した。政府職員の給与引き上げ、農家の融資返済期限の延長、地方での雇用助成、石油や化学肥料の価格を低く抑えるための公債発行などだ。「こうした政策の一部が長期的には悪い影響をもたらすと懸念する声もある」と、ゴカーンは言う。「だが低所得世帯の消費は増え、近い将来の景気てこ入れには役立つ」
アメリカ型の住宅バブルを回避したインドは、信用収縮に苦しむ金融システムに資金を供給するにも有利な立場にある。インド準備銀行(中央銀行)は信用バブルが崩壊する前、金融緩和による景気刺激を求める産業界の圧力を拒否し続けたからだ。
各国の中央銀行が実質タダのようなお金の供給を増やしているときに、インド準備銀行は、有権者の大半を貧困層が占める民主国家として、年率10%の成長をめざすのは高くつきすぎると判断した。高成長の代償として、コメや小麦粉など生活必需品の価格が高騰しかねないからだ。
政治のリスクのほうが大
住宅はじめすべての物価の高騰を抑制するため、インド準備銀行は昨年夏のピーク時点で政策金利を12・5%まで引き上げた。そのときは金融緩和の潮流からはずれていると批判されたが、おかげでインドには今、成長を刺激しデフレを回避するための緩和余地がたっぷり残されている。
民間銀行の財務体質もいたって健全。中央銀行は銀行を監視し、借金への依存度が過度に高まることを防いだ。借金に対する保有現金の比率を高く維持し、証券化やデリバティブ(金融派生商品)といった手法の使用を制限。アメリカの銀行が損失隠しに使っていた簿外取引は事実上禁止していた。おかげでインドの銀行は巨額の不良債権をかかえ込まずにすみ、資金需要のある企業にはお金を貸すこともできる。
企業も、90年代後半の通貨危機のときの資金繰り難を覚えていて、今回は過大な借金を控えていた。「インドの強さの源泉の一つは、財務体質が強くなった企業部門だ」と、ICRAのチョードリーは言う。
その強さは、インド企業の買い物の仕方に表れている。08年12月、IT大手ウィプロ・テクノロジーズは、シティグループのITサービス子会社シティ・テクノロジー・サービシズを1億2700万ドルの現金で買収した。また10月には、ITアウトソーシング大手のタタ・コンサルタンシー・サービシズが5億500万ドルで同業のシティグループ・グローバル・サービシズを買収。これらの買収劇は、インドのIT産業が崩壊したという報告がまったくの誇張だということを示している。
09年のインドの最大のリスクは世界経済ではなく国内政治かもしれない。マンモハン・シン首相率いる連立政権UPA(与党連合・統一進歩同盟)の任期は5月まで。その後、総選挙が行われる。選挙法の定めにより、シンはもう重大な法律を制定することはできない。現職指導者が選挙前に票集めのための政策を打ち出すのを防ぐためだ。つまり、これから5カ月は政治のマヒ状態が続く。迅速で革新的な行動が最も必要されている時だというのに。
インドの選挙はひと筋縄ではいかない。04年の総選挙では、経済が好調だったにもかかわらず、インド人民党(BJP)を中心とする与党連合NDA(国民民主同盟)が敗退した。BJPの選挙スローガン「輝けるインド」が、貧困層の反感を買ったからだ。
世界経済の電球が消えかかっている今、シンが所属する国民会議派にとって、有権者の支持を得るのはさらに大きな試練となるかもしれない。貧困層は、インドが他の国と比べてどれだけ速く成長しているかなど気にしない。彼らの唯一の関心事は、5年前より生活がよくなっているかどうかだ。
[2009年1月21日号掲載]