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【写真特集】シリア内戦、10年目の絶望と救い
FRAGMENTS OF A DECADE
Photographs by SYRIAN PHOTOGRAPHERS
サミール・アル・ドウミー
戦時下の私にとって、写真は「精神分析医」だった。怒りや悲しみを表現するために、気持ちの全てを写真にぶつけた。みんなと同じように、私も恐怖を感じていた。カメラのファインダーをひたすら見つめ続けることで、目の前の衝撃から逃れようとしたが、無駄だった。
私にとって、シリアは単なる「白か黒か」の世界ではない。渦中の人々は恐ろしい戦争の被害に苦しみながらも、全力でそれに抵抗している。
私の写真では、戦争の別の側面に光を当てようとした。戦時下の人々の暮らしと、戦争が彼らに与える影響。戦争の心理的・物理的影響に人々はどう対処しているか、どうやって耐え抜き、抵抗し、生き延びようとしているか。
ウンム・ムハンマドは、私が出会ったなかで最も特別な人の1人だ。彼女は重傷を負い、回復したと思ったら、夫が空爆で負傷して歩けなくなった。2人が暮らす(首都ダマスカス郊外の)東グータ地区は包囲されているため、別の場所に住む子供たちに会うこともできない。夫の世話と家事を1人で背負わされたが、それでも諦めなかった。彼女の夫への愛は、何よりも大きかった。
ウンム・ムハンマドの抵抗──困難で過酷な状況を生き抜こうとする決意と誠実さは、真のシリア人を象徴していると思う。彼らの命に対する愛と、死と破壊に囲まれながらも困難を乗り越えようとする強固な意志を。
アナス・アルハルブートリー
この写真は、ある女性からシェルターの状況を知りたいと言われて撮影した。(政府軍の)包囲と空爆で疲弊した東グータ地区の全住民の状態を象徴する1枚だ。この女性たちは怯えた子供たちの空腹を紛らわせるため、雑草を調理していた。最低限の人権のかけらさえ、ここにはない。
全ては恐怖に支配されていた。いつ建物が倒壊するか、いつ自分が死亡者リストに載せられるか、誰にも分からない。
撮影中、救援ボランティアがやって来て、1人にカップ1杯分の大麦を配ってくれたが、それだけでは幼い子供の空腹を満たすこともできない。子供たちの表情や母親の様子を見ていると、彼らは私のカメラが今の状態を変えられると思っているようだ。私が写真を公開すれば、生き延びる助けになるのではないかと。しかし、彼らは知らない。今は世界が人権という名のスローガンをうたうだけの時代だということを。
彼らがどうなったのか、私には分からない。まだ生きているのか、強制的に家を追われた人たちなのか。
しかし、確信していることもある。この写真は彼らの悲劇を記録した唯一の証人であり、永遠にそのことを語り続ける、ということだ。
アリ・ハッジ・スレイマン
2011年、私は12歳だった。ダマスカスに住んでいて、人々を助ける医者になるのが夢だった。13年、父が逮捕され、私は家族と一緒に父の出身地である(北西部の)イドリブに戻った。私は勉強をやめ、家族を助けるために働き始めた。
1年後の14年、私はある団体で写真資料を整理するようになった。そして17年、カメラを手に取り、シリア人の苦しみと民間人に対する人権侵害を記録するメディアの一員に加わることを決意した。
この写真は20年、イドリブの南に位置するバルユーンという村で、(周辺地域一帯の)停戦合意が成立した後に帰宅した家族を撮影したものだ。このときの私は、悲しみと喜びが入り交じった複雑な心境だった。喜びを感じたのは、家に戻れた人々の幸せそうな様子を見たから。悲しかったのは、私自身は故郷のわが家にまだ戻れないからだ。
<本誌2021年4月6日号掲載>
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