コラム

ヴェネツィア・ビエンナーレとは何か(2):『資本論』とロールス・ロイス

2015年10月22日(木)16時00分

 実はジュリアンは、『資本論』朗読の演出をエンヴェゾーに依頼されるとともに、ロールス・ロイスに委嘱され、つまりはスポンサーとして制作費を全額負担してもらい、新作映像インスタレーション「Stones against Diamonds」を作成したのである。作品は、アート・バーゼルにおける一般公開に先立ち、ビエンナーレのプレビュー期間中に特別プレミア上映された。もちろん、豪華なレセプションパーティ付き。カール・マルクスの主著と、富裕層御用達の超高級カーブランドとの対比はあまりに鮮烈で、当然ながらジャーナリズムから、批判とまでは行かないが揶揄されている。セントラルパビリオンでやっていることと、会場の外でやっていることはまったく違うじゃないか、と。この詰問に返しうる言葉はありそうにない。

ozaki1022_a.jpg

ロールス・ロイスに委嘱されたアイザック・ジュリアンの「Stones against Diamonds」  ロールス・ロイスのウェブサイトから

運河に浮かぶ「移民船沈没記事ボート」

 他方、エンヴェゾーへの本質的批判と呼応するように、観光地としてのヴェネツィアとビエンナーレの存在そのものを外部から痛烈に揺さぶる形で、同時期に作品を発表したアーティストがいる。映画『ヴィック・ムニーズ/ごみアートの奇跡』でも知られるヴィック・ムニーズである。

 ムニーズは、巨大な新聞紙で出来ているかのような木製ボートを作って、ヴェネツィアの運河に浮かべた。表面には、2013年10月にイタリア最南端の島ランペドゥーザの沖で、リビアからの移民を乗せたボートが沈没した新聞記事が転写されている。事故では400人近くが死亡。ビエンナーレの開幕直前にも同じ海域で転覆事故が起こり、700人もの移民が亡くなった。その後も事故は続き、同じ地中海の反対側では、今度はシリアからの難民を乗せた船が相次いで転覆している。ヴェネツィアでお祭り騒ぎに浮かれる観光客やアートラバーたちは、自分たちの目と鼻の先で起こっている悲劇を直視しようとしない。ムニーズのボートは、その態度を真正面から批判している。


 ビエンナーレの華やかな会場には、当然だが移民や難民の姿はまったくない。ヴェネツィアの海や運河に浮かぶのは、観光客を乗せるバポレット(水上バス)やゴンドラ、あるいはビエンナーレを観に来たビッグコレクターのプライベート豪華クルーズばかり。難民の故郷であるリビアやシリアにはアート作品はいまや存在せず、仮にあったとしても鑑賞する余裕がある者などひとりもいないだろう。言うまでもなくシャンペンが続け様に抜かれる社交の場もなく、それどころか、現地では人々が殺され続けている。同じ時代の、わずかな隔たりしかない場所なのに、両者はまったくの別世界なのだ。

プロフィール

小崎哲哉

1955年、東京生まれ。ウェブマガジン『REALTOKYO』『REALKYOTO』発行人兼編集長。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。2002年、20世紀に人類が犯した愚行を集めた写真集『百年の愚行』を刊行し、03年には和英バイリンガルの現代アート雑誌『ART iT』を創刊。13年にはあいちトリエンナーレ2013のパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当し、14年に『続・百年の愚行』を執筆・編集した。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:スイスの高級腕時計店も苦境、トランプ関税

ワールド

ルビオ氏「日米関係は非常に強固」、石破首相発言への

ワールド

エア・インディア墜落、燃料制御スイッチが「オフ」に

ワールド

アングル:シリア医療体制、制裁解除後も荒廃 150
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「裏庭」で叶えた両親、「圧巻の出来栄え」にSNSでは称賛の声
  • 3
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に...「曾祖母エリザベス女王の生き写し」
  • 4
    アメリカを「好きな国・嫌いな国」ランキング...日本…
  • 5
    トランプはプーチンを見限った?――ウクライナに一転パ…
  • 6
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、…
  • 7
    セーターから自動車まで「すべての業界」に影響? 日…
  • 8
    『イカゲーム』の次はコレ...「デスゲーム」好き必見…
  • 9
    主人公の女性サムライをKōki,が熱演!ハリウッド映画…
  • 10
    日本人は本当に「無宗教」なのか?...「灯台下暗し」…
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 3
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 4
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 5
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 6
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 7
    アリ駆除用の「毒餌」に、アリが意外な方法で「反抗…
  • 8
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 9
    孫正義「最後の賭け」──5000億ドルAI投資に託す復活…
  • 10
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story