コラム

ヴェネツィア・ビエンナーレとは何か(1):水の都に集まる紳士と淑女

2015年10月07日(水)17時15分

 開催都市は毎回ヴェネツィアだから誘致活動はない。数十万人の観客が訪れるとはいえ、数百万単位のオリンピックやワールドカップとは一桁違うから入場料収入も大したことはない。放映権の見返りに巨額の賄賂をもたらす世界テレビ中継もない。サッカーなどに比べると、現代アート界最高の祭典ははるかに旨味が少ないのである。国際的ではあるけれど、大衆的な巨大イベントではないのだからそれも当然だ。

 だがビエンナーレ、特にそのプレビューに集まる一群の紳士と淑女は、IOCやFIFAの幹部よりも、はるかに高いプライドとそれなりの利権を有している。「現代アートとは何か」と問われて即答できる人は専門家でも少ないだろうが、彼ら彼女らは、まさに現代アートの価値を決めている特権階級なのだ。スポーツであれば抜きん出た才能は誰が見てもわかるし、演技点など採点に恣意性が入りうる競技を除けば、その才能は計測・記録という形で客観的に数値化もできる。だがアートには、良し悪しを決める絶対的な基準はなく、誰かの判断を待たねばならない。彼ら彼女らは、その「誰か」としてアート史に残すべき作品を選び出す。自らの死後も続くアートの正史編纂に携わる歓びと自負心、それに現世におけるささやかな、あるいは多額の報酬。「プライドと利権」とはそういう意味である。

 多額の報酬? そう、報酬は職種にもよるがもちろんあるし、それが動機の一部を成す。好むと好まざるとに関わらず、アートの価値と価格は(ほぼ)分かちがたく結びついていて、価値を決めるのは彼ら彼女らなのだから、いろいろな形で利得の還元がありうる。その意味では、財団それ自体ではなく、財団をも含めた上記VIPがIOCやFIFAに当たるとも言える。だからこそ、ビエンナーレのプレビューに行くのは面白い。各国から集まるVIPの振る舞いを通じて、アートワールドの構造を垣間見ることができるのだから(「だとすれば、ビエンナーレのような非商業的なフェスティバルではなく、アート・バーゼルに代表されるアートフェアに行けば?」という一見もっともな疑問への答は次回以降に述べる)。

 この連載では、現代アートの価値と価格を決めている人々、つまり狭義のアートワールドの構成メンバーを紹介し、併せて「現代アートとは何か」を考えてゆく。輪郭の曖昧なその集合体が現代アートの価値を決めている。それが正当なことなのか、彼らにその権利があるかどうかは読み進める内にわかっていただけると思う。そのときには、「現代アートとの価値とは何か」という大仰な問いの答も、自ずと明らかになっているはずだ。

Venice Art Biennale 2015: Arsenale

ビエンナーレ2015への批判

 ところで、今回のビエンナーレには例年にも増して批判が多い。好意的だったのはニューヨーク・タイムズほかわずかなメディアだけで、他は「憂鬱で面白みがなく醜い」(アートネット・ニュース)、「世界とアーティストと作品を、真の批判的洞察力も感情もなく組み合わせた」(リベラシオン)、「心ときめく冒険ではなく落ち込んで歩みも止まる」(ガーディアン)などとさんざんである。僕はとてもよく出来た展覧会だと感じたが、こうした反応が出る理由はよくわかるし、批判が出ること自体が健全で面白いと思う。

プロフィール

小崎哲哉

1955年、東京生まれ。ウェブマガジン『REALTOKYO』『REALKYOTO』発行人兼編集長。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。2002年、20世紀に人類が犯した愚行を集めた写真集『百年の愚行』を刊行し、03年には和英バイリンガルの現代アート雑誌『ART iT』を創刊。13年にはあいちトリエンナーレ2013のパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当し、14年に『続・百年の愚行』を執筆・編集した。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米、台湾への武器売却を承認 ハイマースなど過去最大

ビジネス

来年のIPO拡大へ、10億ドル以上の案件が堅調=米

ビジネス

英中銀、5対4の僅差で0.25%利下げ決定 今後の

ビジネス

ノバルティスとロシュ、トランプ政権の薬価引き下げに
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 7
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 8
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 9
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 10
    【銘柄】「日の丸造船」復権へ...国策で関連銘柄が軒…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 4
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 5
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 6
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 7
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 8
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 9
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 10
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story