最新記事

シリーズ日本再発見

話題作『全裸監督』が黙して語らぬ、日本のミソジニー(女性憎悪)

Stripping Down 'The Naked Director'

2019年10月24日(木)15時00分
岡田育(文筆家、ニューヨーク在住)

英語圏の評価はまずまず

ネットフリックス日本法人の広報担当・東菜緒に改めて問うと、「実名(が持つ訴求力)は、制作段階でそこまで気にされていなかった」との回答だった。企業として醍醐味を感じたのは、共に時代を生きた仲間との恋や友情、人生の浮き沈みも含めた、普遍的な「青春物語」としての側面である、という。

成績下位の冴えないセールスマンが成人向け雑誌の販売事業を起こし、暗黙の掟を次々と破りながらAV業界に変革をもたらす成功譚は、確かに人の心を引き付ける。だが、ノンフィクション作家・本橋信宏による評伝が原作とはいえ、ドラマ版は複数名の脚本家がチームライティングを重ねて、時系列に至るまで大胆な脚色を加えたフィクションだ。作中人物の大半が偽名のなか、主役だけ実名を用いる必然性は感じられない。

zenra03.jpg

村西とおる役には山田孝之(写真中央)が

米国ネットフリックス社は、契約者数1億5000万を超す世界最大規模のストリーミング配信サービスにして映像制作会社である。アプリを経由して膨大な視聴データを集積し、顧客の嗜好を的確に把握することで覇権を築いてきた。初期2シーズンで1億ドルもの巨額予算を投じた『ハウス・オブ・カード/野望の階段』(13~18年)が独自の予測データに基づいて監督や配役を選定し、アルゴリズムの読みどおりに大成功を収めた話はつとに有名だ。

続く快進撃のなか、まことしやかにささやかれるのは、ハリウッド映画の脚本術に代わる新しいコンテンツセオリーの噂。過激な性描写も、衝撃の流血シーンも、AIの高度な演算とアナリストの指示で書かれた筋書きか......同社作品には、そんな都市伝説が付きまとう。

『全裸監督』もしかり。人気シリーズ『ナルコス』(15~17年)の米国制作陣がシナリオレビューに関わったという情報は、本作の前評判を高めるのに一役買った。『ナルコス』はコロンビアを舞台に麻薬密売組織と取締捜査官たちの攻防を描いたドラマで、悪名をとどろかせながら裏社会でのし上がる実在の麻薬王が登場する。主役に実名を使用したのも、過去のヒット方程式に倣った米国側の要望では? と臆測を呼んだ。

広報担当の東は、国内作品に関しては東京オフィスに決裁権がある、と繰り返す。全世界100以上もの制作拠点が、一つ一つ米国本社の顔色をうかがう承認プロセスはあり得ない、と否定された。もともと国内視聴契約者には日本製・日本語のコンテンツを求める顕著な視聴傾向があり、本作もそこに狙いを定めたにすぎない、と。

扇情的な広告宣伝、郷愁をそそる実名利用、国内以上に日本人AV女優の人気が高いアジア圏でのヒット。日本法人が独自に意思決定を下した「内向き」コンテンツだと言われれば、いずれも納得に値する。人間による道義的判断だと聞かされると、データの導いた最適解だと言われる以上に良心が痛むのは、何とも皮肉なことだが。

ネットフリックスは一部作品を除いて視聴者数を公表していない。『全裸監督』も、欧米など他の地域での反響については非公開とのこと。英語圏のネットレビューに目を通してみると、評価は低くはない。大掛かりなセットで好景気に沸く昭和末期の猥雑な新宿・歌舞伎町が再現され、リリー・フランキー、國村隼、ピエール瀧など国際映画祭出品作の常連俳優を配し、裏社会の資金源となるポルノ産業の内情が赤裸々に描かれる。エロにバブルにヤクザ。異国情緒あふれる日本の風俗がテンコ盛りだ、ウケるのは分かる。

視聴者を共犯に仕立てる

他方、「文化の違いか、登場人物の行動に感情移入しづらい」との声も目に付いた。劇中の村西は何を考えているか謎のまま、ライバル勢力も仲間たちも、そのとっぴな発想とワンマンぶりに翻弄されていく。

浮気した妻から「あんたでイッたことないのよ!」と罵倒されて以降、ポルノの販売制作、特に不法な本番行為の撮影に執念を燃やすのだが、欲望の解放について饒舌に語り倒す村西が、自身の後ろ暗い復讐心、その奥に読み取れるミソジニー(女性憎悪)について内省することはない。カメラの前で黒木香に背面騎乗位を取られる場面が後半のハイライトで、これは村西が妻を寝取られた際に目撃した同じ体位である。

MAGAZINE
特集:小池百合子の最終章
特集:小池百合子の最終章
2024年7月 2日号(6/25発売)

「大衆の敵」をつくり出し「ワンフレーズ」で局面を変える小池百合子の力の源泉と日和見政治の限界

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は?
  • 2
    キャサリン妃は「ロイヤルウェディング」で何を着たのか?...「お呼ばれドレス」5選
  • 3
    「地球温暖化を最も恐れているのは中国国民」と欧州機関の意識調査で明らかに...その3つの理由とは?
  • 4
    女性判事がナイトクラブで大暴れ! 胸が見えてもお構…
  • 5
    ミラノ五輪狙う韓国女子フィギュアのイ・ヘイン、セク…
  • 6
    爆破され「瓦礫」と化したロシア国内のドローン基地.…
  • 7
    ロシアの人工衛星が軌道上で分解...多数の「宇宙ごみ…
  • 8
    ガチ中華ってホントに美味しいの? 中国人の私はオス…
  • 9
    あまりの激しさで上半身があらわになる女性も...スー…
  • 10
    「死刑囚だけど、会いたいから行ってるだけ」和歌山…
  • 1
    中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は?
  • 2
    爆破され「瓦礫」と化したロシア国内のドローン基地...2枚の衛星画像が示す「シャヘド136」発射拠点の被害規模
  • 3
    ミラノ五輪狙う韓国女子フィギュアのイ・ヘイン、セクハラ疑惑で3年間資格停止に反論「恋人同士だった」
  • 4
    ガチ中華ってホントに美味しいの? 中国人の私はオス…
  • 5
    「大丈夫」...アン王女の容態について、夫ローレンス…
  • 6
    衛星画像で発見された米海軍の極秘潜水艇「マンタレ…
  • 7
    貨物コンテナを蜂の巣のように改造した自爆ドローン…
  • 8
    ロシア軍部隊を引き裂く無差別兵器...米軍供与のハイ…
  • 9
    キャサリン妃は「ロイヤルウェディング」で何を着た…
  • 10
    8人負傷のフィリピン兵、1人が「親指失う」けが...南…
  • 1
    中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は?
  • 2
    ラスベガスで目撃された「宇宙人」の正体とは? 驚愕の映像が話題に
  • 3
    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開するシーン」が公開される インドネシア
  • 4
    ウクライナ水上ドローンが、ヘリからの機銃掃射を「…
  • 5
    「世界最年少の王妃」ブータンのジェツン・ペマ王妃が…
  • 6
    接近戦で「蜂の巣状態」に...ブラッドレー歩兵戦闘車…
  • 7
    新型コロナ変異株「フラート」が感染拡大中...今夏は…
  • 8
    ヨルダン・ラジワ皇太子妃の「マタニティ姿」が美しす…
  • 9
    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思ってい…
  • 10
    我先にと逃げ出す兵士たち...ブラッドレー歩兵戦闘車…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中