大地震から10カ月後の昨年11月、復興が一向に進まない構造に警鐘を鳴らした本誌の現地深層リポート
ハイチのジャンベルトラン・アリスティド大統領(当時)をよく思わなかった米ブッシュ前政権は、02年から「すべての援助を直接NGOに提供し始めた」と、ポール・ファーマー国連ハイチ副特使は言う。「アメリカの方針はほかの国々と国際金融グループの方針にも影響していった」
比較的給料のいいNGOの仕事に優秀な人材が殺到し、ハイチの公共セクターは衰退。医療と教育はますます悪化し、蔓延する腐敗にも拍車が掛かった。その一方でNGOは猛スピードで広がった。ハイチの国民1人当たりのNGOの数は、地震発生時は既に世界一だった。
NGOとは博愛精神に満ちた人々が運営する慈善団体だ。それでもやはり、大きな官僚機構に付き物の問題と無縁ではない。資金供与団体と篤志家の善意が頼りで、競争心むき出しで秘密主義で外からの声に対して過敏になりかねない。しかもハイチの場合は、被害の規模もNGOの注意を引こうとする声も大き過ぎる。
NGOは無力だと言っているのではない。人道支援組織は巨額の資金を投じ(08年だけで160億〜180億ドル、ゴールドマン・サックスとJPモルガン・チェースとモルガン・スタンレーの賞与資金の総額に匹敵する)、非常時に無数の人々を雇用している。
しかし善意に満ちたNGOが束になっても、強力で機能している中央政府の代わりはできないことを、ハイチ地震は浮き彫りにした。「医学用語でいう『慢性疾患の急性増悪』というやつだ」と、医師でもあるファーマーは分析する。「公共セクターは既に脆弱で、資金の監視や効率的使用が極めて難しくなっている。すべての血液を細い針で輸血しようとするようなものだ」
そこで国連は、NGOや供与国とハイチ政府との調整役として、暫定ハイチ復興委員会(IHRC)を新設した。原則として、NGOのすべてのプロジェクトと援助資金はまずIHRCが厳密に審査する。これまでに約20億ドルが承認済みだ。
「ハイチでは前例のない委員会」と、クリントン財団のグラハムは言う。対外援助専門家の間では、ハイチを無秩序状態の瀬戸際から救う唯一の希望をもたらす、という声もある。
しかしハイチの人々が自らの運命に責任を負えば、つらい選択が待っている。たとえ非効率でも人間の基本的欲求に対応すべく資金を投じるか、将来の安定と経済成長のためにより緩やかな復興に甘んじるかだ。
例えば国連世界食糧計画(WFP)などが始めた食糧配給プログラムは、地元農家の市場を奪うとして、開始後すぐにハイチのルネ・プレバル大統領から中止を求められた。今後も同様のジレンマが待ち受けている。
ハイチの人間に手作業で瓦礫を撤去させるか、それとも市中心部に重機を配備できる外国企業と契約するか。結局、決めるのはハイチ政府だ。ハイチでもニューオーリンズでも、災害援助活動は政治と切り離せない。
食糧、避難所、汚染されていない水はもちろん必要だ。しかしハイチの人々は、国の主権も取り戻したがっている。いつまでも外国の援助に頼ってもいられない。
ハイチは地球上で最も不運な国、貧困と数十年間に及ぶ腐敗した独裁政治の後遺症に苦しんだ上、大災害に見舞われた国、と見られがちだ。アメリカをはじめ諸外国は、独自の行動計画とイデオロギーと有能な官僚機構で、誠心誠意この難局に対処した。彼らが去った後、ハイチが独り立ちできるよう願うばかりだ。
[2010年11月24日号掲載]