ロシア政府が国民に隠していた不安定な北カフカス情勢があらわになったが、効果的なテロ防止策は見つからない
国営テレビでニュースを見ていた大半のロシア人にとって、3月29日にモスクワの地下鉄で発生した連続爆破テロは寝耳に水の出来事だった。
チェチェン紛争は制圧され、ウラジーミル・プーチン首相が指名したチェチェン人武装勢力出身のラムザン・カディロフ大統領の恐怖政治のおかげで、テロ攻撃は永久に過去のものとなった──ロシア当局は、そんなメッセージを国民に発してきた。
だが、モスクワ中心部のルビャンカ駅とパルク・クリトゥールイ駅で38人の命を奪った連続爆破テロは、ロシア政府の戦略の失敗を明示している。北カフカス地方のチェチェン、イングーシ、ダゲスタンの各共和国は制圧されたどころか、今も不安定極まりない危険な状態にある。
テロリストからのメッセージは明白だ。彼らが狙ったルビャンカ駅の目の前は、プーチンがかつて所属していたKGB(旧ソ連国家保安委員会)の後継組織であるFSB(ロシア連邦保安局)本部ビルがある。このテロは、自分たちがロシアの中核を攻撃する能力を今も保持しているというシグナルだ。
FSBのアレクサンダー・ボルトニコフ長官によれば、テロの実行犯は2人の女性。モスクワで1998年〜2004年に頻発したテロとの不気味な共通点を感じる(04年にはモスクワの地下鉄で2人のチェチェン人女性が自爆し、50人を殺害。02年のモスクワ劇場占拠事件でも女性テロリストが重要な役割を担っていた)。
だがこの1年間、ロシアメディアは手に負えない状態に陥っていた北カフカスでの暴力行為を軽視してきた。モスクワでテロが起きたのは確かに5年ぶりだが、南ロシアでは昨年来、15件の自爆テロが発生している。昨年8月にはダゲスタンの警察庁舎に爆弾を積んだトラックが突っ込み、20人が死亡した。イスラム過激派との長期戦を展開しているイングーシの警察当局は2月に、カバルディノ=バルカリア共和国の武装組織の指導者アンゾル・アステミロフなど20人の反体制派を殺害。今回の爆破テロはその報復ではないかという憶測も流れている。
プーチンがカフカスに平和をもたらしたというプロパガンダを信じていたモスクワ市民が、今回の地下鉄テロで受けた衝撃は計り知れない。テロ現場から逃げ去る人々は一様に、二度と地下鉄には乗らないと話していた。
モスクワ中心部はさながら戦場のよう。現場一帯の交通が封鎖され、頭上をヘリコプターが旋回し、市民は自宅で恐怖に慄いていた。テロリストが携帯電話を使って爆弾を爆破させる事態を恐れた警察は、携帯電話の電波も妨害した。
反体制派の活動家たちが恐れるのは、今回のテロが、ドミトリー・メドベージェフ大統領の推進する政治的雪解けムードを抑えつける格好の口実に使われることだ。「ロシア当局は国内の自由化運動を封じ込めるためにあらゆる理由をこじつけるだろう」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのユリア・ラティニナは言う。「3月31日に予定されている反対派のデモが、警察や(政府寄りの若者集団)ナシに妨害される事態を懸念している」
実際、ロシア政府は過去にも、テロの脅威を利用して政治的弾圧を正当化してきた。テロが相次いだ04年には、プーチンは安全保障の強化を口実にして州知事選をキャンセルし、大統領による知事の指名制を導入した。