アングル:プロサーファーの夢を追うパキスタンの若者
10月31日、アティク・ウル・レマンさん(写真)は、パキスタン初のプロサーファーになるという夢を追いかけている。カラチのタートル・ビーチで9月撮影(2024年 ロイター/Insiya Syed)
[カラチ(パキスタン南部) 31日 ロイター] - アティク・ウル・レマンさん(21)は、パキスタン初のプロサーファーになるという夢を追いかけている。息子の将来を憂う父親の心配や、道具が入手困難な状況、そしてカラチ周辺の海の荒れた波にもかかわらず、その決心は固い。
「今はお金のことは気にしていない。ただ競技がしたいだけ。これが僕のサーファーとしての姿勢です」と、レマンさんは言う。結婚して家族を養うために漁業を始めろという父親の懇願は一蹴した。
レマンさんの家族はパキスタン南部の貧しい沿岸地域の出身で、普段は漁業で生計を立てるか、カラチの裕福な住民がビーチに遊びに来たときに監視するライフガードとして働いている。
彼の父親は漁業で10人家族を養うために月に100ドル相当を稼いでいる。
「息子にサーフィンをやめるように何千回も言ったが、まだ言うことを聞かない」と父親のムハンマド・ラフィクさんはため息をついた。
レマンさんはライフガードをしていたが、9歳で始めたサーフィンに専念するためにそれを辞め、「ブルジのサーファー」と名乗る新しいコミュニティを立ち上げた。
このグループは50人ほどにまで成長し、クリケットとホッケーが中心的なスポーツであるこの国で、ソーシャルメディア上で話題になっている。
グループは沿岸の村々から来たサーフィン愛好家たちで構成されており、中には8歳の少年もいる。
晴れた日には、人口2000万人の大都市に近いのにほとんど人がいないビーチにサーフィンにちょうど良い波がやってきて、グループの仲間たちがサーフィンに熱中する姿が見られる。
メンバーの1人、漁師ムジャヒド・バロチさん(24)は、ソーシャルメディアで初めてサーフィンを見て、すぐに魅了された。
「ゆっくりと、観察しながら、乗れるようになった。誰も教えてくれなかったから」と彼は語った。
スリランカやその南にあるモルディブは世界中のサーファーのお気に入りの場所だが、パキスタンの乾燥した1000キロの海岸線は、通常サーフィンには適していない。地元の風が生み出す波は小さくて乱れたものが多く、まれにサイクロンによるうねりもある。
「サイクロンが接近してカラチ市全体に海から離れるよう勧告が出されていたとき、私と仲間たちはビーチに行く準備をしていた」とレマンさんは言う。「理想的な波がきていたから」
時々訪れるサーファーが一緒に漕ぎ出すこともあるし、海岸沿いの他の村にも小さなサーフィングループがあるが、世界の仲間と競争するのは大変だ。国際サーフィン協会にはウクライナや内陸国スイスなどを含む116カ国が加盟しているが、パキスタンはリストに載っていない。
それでも、「サーファーズ・オブ・ブレジ」のメンバーは米国のプロサーファー、ケリー・スレーターに憧れ、彼の動画を観ては感動に震え、彼の技術を真似したいと思っている。
しかし、パキスタンではサーフィン用具の入手が難しい。グループは約25枚のサーフボードを共有し、お金を出し合って必要な修理をしている。
時に彼らは、世界中からパキスタンに運ばれてきたガラクタの入った大きなコンテナの中に、廃棄されたボードを見つけることがある。こうした廃棄されたボードを35ドルで買い取り、接着剤や樹脂などの基本的な材料を使って修理する。
「壊れたら修理する。ここにはサーフボードがないから」とバロチさんは言う。海で拾って間に合わせのボードに加工した発泡材の板も見せてくれた。「もっと同じような発泡材が見つかれば、ここで自分たちでサーフボードを作ることができる」とバロチさんは言う。
「私たちのコミュニティはメンバーが増え、強くなっている。(業者は)私たちがこのような掘り出し物を欲しがるのを知っているので、保管しておいてくれるようになった」と、レマンさんは言った。