コラム

雑踏にもまれて知った東京の捨て難い魅力

2014年01月27日(月)10時47分

今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

〔1月21日号掲載〕

 あるときランチタイムに四谷の中華料理店に入ると、店内はいっぱいだった。相席で何とか腰を落ち着け注文をした。ところが、また1人客が私たちのテーブルにやって来たので、その客の座る場所を空けようと奥に詰めたときにうっかりしょうゆの瓶をひっくり返してしまった。

 他の客たちは慌てて紙ナプキンでしょうゆを拭き取ろうとした。店員もおしぼりを手に飛んできた。彼女がテーブルを拭けるよう私がトレイを持ち上げると、何と今度はトレイに載っていたかき玉汁をこぼしてしまった。店員は新しいおしぼりを取りに走り、私は目の前の惨事を収拾しようと焦りつつ、平謝りに謝った。

 相席の客たちは怒るどころか気の毒そうな顔をした。「あなたのせいじゃないですよ。こんなに狭くちゃねえ」。店員も申し訳なさそうに何度も謝った。もちろん、彼らは私がガイジンだから大目に見てくれたのだ。東京では狭い場所にすし詰めになるのは当たり前。外国人はそんな状態に慣れていないと思ったのだろう。

 東京暮らしのこの何年かに、私は何度もこうした「スペース不足によるアクシデント」を起こしてきた。店に並べてあるワインにショルダーバッグをぶつけて落としてしまったこと、ラッシュ時に駅の階段で女性を突き飛ばしてしまったことなどなど。喫茶店のトイレに出入りするには狭い道で車をUターンさせるような裏技が必要になる。カウンター席だけのラーメン店では座っている客にぶつからないよう奥に進むのに一苦労だ。

■看板で店内スペースが分かる?

 暮れに新宿の居酒屋に入ろうとしたら、店員が困惑顔で謝った。「満席なの?」と聞くと、「いや、席はあることはあるんですけど、すごく狭いので」。

 私は狭い場所には慣れていると言って彼を安心させた。もちろん、中華料理店でのぶざまな失敗については黙っていた。 東京で暮らすには、言葉の習得以上に、狭小スペースに適応する能力が求められる。私は長年、日本人は外国人が嫌いなんだろうと誤解していた。電車で私の隣に誰も座ろうとしないからだ。どうやらそれは乗客たちの気遣いらしい。「あのガイジンさんに窮屈な思いをさせては申し訳ない。たまにはゆったり座らせてやろう」というわけだ。

 だが近頃では東京名物の混雑も解消されつつある。近年の再開発事業は広々した空間を設けることに重点が置かれている。電車の車両も新しいものは比較的ゆとりがある。広い空間を確保すべく、建物はより高く、より地下深く建設される。

 バーやレストランも新しい店は広々として、大きめの椅子が置かれている。看板がローマ字ならゆったり、漢字なら狭い店という法則が当てはまりそうだ。

 ゆったりしたスペースが増えたことは歓迎すべきだろう。ランチのときに両肘が隣の人にぶつかったり、混雑した電車であり得ないような体勢で見ず知らずの人ともみくちゃになったりすれば、神経も体力も消耗する。皮肉にも東京人が街でキスしたりハグしたりする姿を目にすることはほとんどないが、狭い故に他人と接近せざるを得ない毎日だ。

 とはいえ、東京で暮らすうちにいろんな人を間近に観察できるのは面白いと思うようにもなった。狭い空間では拡大鏡をのぞき込むように人間観察ができる。

 人々が押し合いへし合いする熱気も東京の顔の一部。混雑した場所が東京から完全に消えることはないだろう。文句を言いながらも、人々はぎゅう詰めになることがまんざら嫌ではなさそうだ。

 人のぬくもりを身近に感じることには喜びと安らぎがある。私と同様、東京の人々もこうした親密さをひそかに楽しんでいるのではないか。これほど多くの顔と体、これほど多くの人間を、その匂いや体温まで感じ取れる都市は世界中探してもほかにないのだから。


プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

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